いもうとの権利

 不安なのだと古鷹は言った。
 部屋の明かりを消して、いよいよ眠ろうかという時だった。
 平生まず聞くことのないだろう、この姉の、おそらくは気の置けない妹が相手だからと搾り出すようにして打ち明けたえらく気弱な声を、加古は無視できなかった。
 睡魔を無理矢理おさえつけて、上体を起こし、古鷹のほうに目をやる。
 古鷹は背を向けている。
 加古は古鷹の掛布団をめくって、さてはと思っていたとおり、おのれの二の腕にはげしく噛み付かせている古鷹の指を、一本一本ほぐしていった。古鷹はそれには逆らわない。
 敷布団の上にだらりと落ちた手に、加古は自分の手を添えて、古鷹の体になかばおおいかぶさった。
「なアにが不安なんだい」
 と加古は眠気のこびりついた声で言った。
「今の戦況? 戦後の身の振り方? 次の作戦? あー、えーっと……、それともあたし、か」
 思いついたことを並べていって、最後に自分を付け加えた。心配性の古鷹は、危なっかしい戦い方をする加古にいつも気を揉んでいる。加古にも自覚があるにはある。改めるのはむずかしいけれど。
 古鷹からの返答はなかなか来なかった。加古は古鷹の指をいじりながらのんびりそれを待った。一方で強烈な眠気とけんめいに戦っていた。
 やがて、古鷹は、やはり腹の底からひっしに搾り出すように、ようやく一言だけごくちいさな声で言ったのだった。
 その声は加古の耳に入り口からそのまま出ていった。
「あおば――」
 加古が目をしばたたかせたのは、眠気のせいだけではない。
「青葉がどうしたってえ」
 一頃は青葉は妙に古鷹を避けて接触を拒んでいたし、それを反転したみたいにやたら明るい振る舞いでべたべたと接触しきたりもした。が、青葉のおかしな言動はその理由はあきらかになって、ふたりのぎこちない不自然な関係はきれいに解消された。ようするにふたりは和解したはずではなかったか。
 今更なにを、古鷹は青葉のことを不安に思うことがあるのか。すくなくとも加古の見るるかぎり、古鷹と青葉の関係はいたって良好である。
「けんかした?」
 いちおう訊いてみる。
 古鷹はゆるゆると首をふった。
「じゃあ、なんだろう。……」
 加古はもはや古鷹から直接言葉を引き出すことはあきらめた。
 古鷹から離れ、あおむけになって、暗い天井をみつめた。
 となりから長いか細い息がもれるのが聞こえた。
 加古は首を回した。
 古鷹はあいかわらずこちらに背を向けている。
「ふるたかア」
 まず名前を呼んで、
「ほんとうはあたしがお姉ちゃんになるはずだったんだぞオ」
 そう言ってから、加古もまた体をかえして古鷹に背を向けるかっこうになった。
 もぞもぞと布団の中をうごく音がする。
 ぴたりとなまあたたかい感触が加古の背にくっついた。
 その背に息がかかる。
 ああこりゃ泣いているな、と加古は気づいた。
 加古は目をつむり、わざといびきをかいた。眠るなり眠ったふりをするなりして、これから古鷹が告白しようとしていることを、なにもかも聞かぬ存ぜぬとすることが、この場合に自分のすべき仕事だと思ったのである。
 ――私をやさしく抱きしめる青葉のぬくもりは、戦闘で、肉を切るよりも血を流すよりも髪を焦がすよりも、もっと激烈に、私が鉄の塊でなくなったと思い知らせようとする。私が人間になってしまったのだと訴えてくる。私はそれはとても怖ろしいことだと思う。
 ――私はいつか戦いそのものに恐怖して、ちゃんと戦えなくなってしまうのではと不安になる。
 ――戦えなくなった私は、いつか青葉を殺してしまうかもしれない。青葉は私のために死ぬかもしれない。青葉をかばって死んだかつての私のように。
 ――青葉がそれを望んでいるかもしれない。そう考えてしまうことがある。そのことが私はなにより怖い。

 加古はその夜の明けて数日後に、古鷹と青葉が体の関係をもっていると知った。
 昼寝から起きたばかりの加古のそばに寄り、どうやらそうらしいと耳打ちしてきたのは衣笠だった。
「ああー、それは、それは、……」
 まさか、と言うべきか、いつのまに、と言うべきか。言われてみると、夜半に部屋に戻ってこないことが増えた気がする。つまり、衣笠のほうでも同じことがあったのだろう。
「どうりで最近、またビミョーな距離感に戻っていたわけだわ」
 と衣笠は溜息まじりに言った。
 加古は目をまんまるにして、
「どうりで最近、めちゃくちゃ仲良いわけだ、じゃなくてえ?」
 と言った。
 今度は衣笠が目をまるくした。
 意見が合致しなかった。
 加古はいごこちのわるさを感じて、足もとのブランケットをつかみあげ、胸にひきよせた。
「ああ、うん、仲は良かった、ますます良くなってたね。……」
 衣笠は顎に指をあてて、なにやら思案しだした。衣笠の口ぶりからすると、加古の見たとおり古鷹と青葉の仲が良すぎることが、かえっておかしな距離をふたりのあいだにつくっている、つまり以前の状態に戻っている、と言いたいようだった。
 加古はあくびをした。実際に彼女は眠たかった。衣笠につきあってあれこれと考えごとをする気もない。それは自分の領分ではないと加古はわりきっている。
「なあに、まだ寝足りないの?」
「うん」
 加古が言うと、衣笠はふっと笑いをふきだして、じゃましちゃ悪いからおいとまするね、と言って、部屋から出ていった。
 加古は胸のブランケットをぎゅっと抱きしめた。長い時間をかけてしこんだ絶妙な手触りとにおいが、なんとも安心できるのである。
 仲が良すぎると距離がおかしくなる。仲の良い相手に抱きしめられていると不安になる。
(なにがなんだか)
 加古はちいさく溜息を吐いた。加古には理解できない。加古にはそんな経験はない。古鷹と仲が良すぎて困ったことはないし、古鷹の腕枕や膝枕で眠ることはしょっちゅうだったが、それを不安に思ったこともなかった。
 ――自分の姉のことながら、あいつのことはよくわからない。
 加古はそう感じたに違いなかった。

 昔馴染みの顔を揃えて、仲良く戦闘海域に出撃した。
 目の前で旗艦の青葉が大破した。
 さしたる戦果を挙げることもなく、ぼろ雑巾みたいになった青葉を天龍がかついで、すごすごと母港に帰った。
 入渠ドックにほうりこまれた青葉を、加古はそのそばにしゃがみんこんで、じいっと見下ろした。
「なんですかア、青葉になにか御用ですかア」
 死にかけの体でも舌はちゃんとうごくらしい。顔もしっかり笑っている。死にかけでも青葉はいつもの青葉だった。それがなんとなく、加古の癪に障った。
 死にかけているのは古鷹のほうだと言いたかった。
「青葉、死にたいなら死んでもいいけどさ」
 加古は言った。
「えっ、それは、ひどい」
「ちゃんとうちのねーちゃん守って死んでくれよう。今回みたいな自爆なんてカンベンしてほしいからさ」
「はいはい、それはもう、じゅうぶん、青葉も肝に銘じています」
 うそくさい笑顔をはりつけたまま青葉は言った。青葉なりにまじめに言っているのだろう。とてもそうは聞こえなくても、うそを言っているわけではないだろう。
 それから青葉は、加古の要求をまるで拒まなかった。否定もしなかった。古鷹の不安はまったくそのとおりだった。
 加古は一度部屋に戻り、ブランケットを手にしてふたたび青葉のいるドックに向かった。固い床の上でブランケットを腹に乗せて、青葉の治療が終わるまでここで寝て待つことにした。
 古鷹には衣笠たちがついているから、まあ、だいじょうぶだろう。そう思いながら加古は眠りについた。

 加古を起こしたのは五体すっかり回復した青葉だった。
「元気になった?」
「ええもう、すっかり」
 青葉はやはり笑っている。にこにこと明るい笑みを満面にひろげている。
「よし、じゃあ、殴るからな」
「え――」
 おもいきりよく加古は青葉を殴り飛ばした。
 笑顔が消え、かわりに困惑をその眉間にあらわした青葉を見ながら、加古は笑ってやった。
(だって、そうだろう)
 そのくらいの権利が、古鷹型二番艦の自分には、あって当然だ。

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