九州南方にある配属先の基地を案内してくれたのは天龍だった。
真っ白い太陽が頭上で灼爍とかがやいていた。
「こういうのは、同じ艦種のやつにやらせるのがいいんだろうけど、うちではおまえが初めての重巡洋艦だから、同種の案内役がない。それに、おれとおまえとは、まんざら知らない間柄でもない。ま、仲良くしようじゃないか」
そう言って天龍は手を差し伸ばした。古鷹はその手を握り返した。ひんやりとここちよい感触があった。
「今は時間が悪いな。ひとまず部屋の場所を教えて、基地内の案内もっと日が傾いてからのほうがいいか」
と言いながら、天龍は上着を脱いで、肩にかけた。彼女も暑いのだろう。古鷹も暑かった。
「いや、だいじょうぶ。荷物は先に届けているし、今すぐ部屋に行かなければいけないことはないから。それより、ここについて、早く知っておきたい」
「疲れてるんじゃないのか。呉から来たんだろう」
「うん」
古鷹は言った。自分のなかの緊張がすこしずつ解けていく感じがした。天龍は目つきはするどく、声はひくく、言葉づかいも少々あらっぽいが、ひとあたりは思いの外よかった。今もこうして古鷹を気づかってくれている。ひとというものは見た目だけではわからないものだ。古鷹は最初に抱いた印象を修正しなければならなかった。
「おまえがいいなら、まあ、案内しよう。どこからでもいいか。疲れたら、ちゃんとそう言えよ。なにせ、この暑さだから」
「そんなにヤワにはできていないよ。これでも一人前の戦船だから」
と古鷹が言うと、
「油断は、禁物、禁物」
と天龍は腰に提げていた水筒を叩いて見せた。
天龍はまず司令室に行って、古鷹を提督に目通りさせたあと、日射しのあたらない屋内を中心に連れ歩いた。それから、明石の工廠、間宮の甘味処、鳳翔の食事処――
「鳳翔はカウンセリングもやってるから、体も頭もまいった時には来るといい」
「彼女はもう退役されているのかな」
と鳳翔の店をあとにした古鷹は訊いた。鳳翔は空母のはずである。明石や間宮と違い戦闘のための艦だ。
「いや、現役。でも、店もやっている。営業は夜だけだがね」
天龍は猪口をあおる仕草をした。
「へえ、それは凄い。……」
古鷹は感心した。自分にはそういう器用さはないとわかっている。
「次は、庭とか、か。訓練場はやかましいから、後回しでいいよな」
天龍は独り言のように言って、青い芝の敷き詰められた一画に古鷹を連れて行く。渡り廊下のまんなかあたりで、立ちどまり、ここ、と教えた。さまざまな木が植えられていて、東屋もいくつかあり、ここもひとつの憩いの場であるらしい、多くの少女が、日射しをさけつつ、休んでいた。
「棕櫚があるだろ」
天龍が指さした先に、背のひくい棕櫚の木がある。
「あれは北上専用の昼寝場所だから、使うと怒られるんだ。気をつけろよ」
「わかった。ほかには?」
と古鷹が訊くと、天龍は方々を指さしながら、どこがだれの陣地になっているのか、ていねいに教えてくれた。陣取り合戦は情け無用だから、気に入ったところは、だれが使っていようと、いつでも奪いとってしまえばいい。ただし、北上の棕櫚にだけは手を出してはいけない、と天龍は念を押して言った。
「北上はそんなに怖いの」
「北上は怖くない。が、大井が怖い。いわゆる女の怖さだな。だから、棕櫚には手を出さないほうがいい」
と天龍は言った。似たような怖ろしさを自分の妹も持っていることを、天龍は知らない。もちろん古鷹は知りようがない。
廊下を過ぎて屋内に入った時、古鷹はふいに頭痛をおぼえた。
目がくらむような感覚があった。
それに気づいた天龍が、古鷹の肩を掴み、やんわりと押さえ付けるように、その場に座らせた。上着を床に敷き、そこに古鷹を寝かせた。ちゃんと休めるところまでひきずっていくつもりはないようである。
「ひとが通ったら恥ずかしいなア」
古鷹は自分の情けなさに笑った。
「羞恥なんて、あっても、なんの役にも立たないだろ」
「そうかな」
「だと、思う。本気で闘うやつは、恥も外聞も棄てて闘うもんだ」
天龍は水筒の水を手にかけ、その手を古鷹のひたいに当てた。
「どうだ」
「冷たくて、きもちいい……」
古鷹は目をつむった。
「そうか。逆に、おまえは熱いな。やっぱり、言わんこっちゃない」
天龍はそのまま古鷹のひたいと頬、それに耳の裏と首の裏に水で濡らした手をすべらせた。
しばらく古鷹は廊下で目をつむったまま、体を休めた。そのあいだ、だれもこの廊下を通らなかった。
頭痛がおさまってきたので、古鷹は肘を立てて上体を起こした。
「ここからなら、おれの部屋が近い。ベッド貸してやるから、日が沈むまで寝てるといい」
「ごめん、ありがとう」
礼を言って、古鷹は天龍に手伝われながら、立ちあがった。
天龍は古鷹に水筒を渡した。
古鷹は一口二口水を飲み、天龍に返した。天龍も水を飲んだ。嚥下の音が大きく聞こえた。
「夏はどこも暑いが、ここはとくに暑い」
「よく、憶えておくよ」
ふたりは天龍の使っている部屋に行った。
「あら、天龍ちゃんおかえり」
という声が室内からあがった。
艶やか笑貌をたたえた女性がいた。
本を読んでいたようで、その手をとめて、こちらに近づいてきた。
「そちらのかたは?」
「新入りの古鷹。知ってるだろ。三川の古鷹。――古鷹、こいつは龍田。おれの妹だ」
古鷹は頭をさげ、あらためて自己紹介した。龍田も自分の名を言った。
天龍は豪気をひとに見せたがるところがあるが、龍田にはそうした性質はないようだった。物腰はやわらかいし、言葉づかいもていねいである。が、ひとよりすこしたれている彼女の目から、古鷹は、どこかみょうに、蛇のような、ねっとりとした粘性とするどさを感じた。それは温和の下に隠された冷徹であるように古鷹には思われた。天龍の時のような、こちらに親しみ通ってくるものがなかった。
古鷹の心のどこかが強張った。
細い手が差し伸ばされた。
龍田が握手を求めてきたのである。
古鷹が手を差し出すと、やはりやわらかい手つきで握られた。握り返すと、にこやかな笑みで古鷹の来訪を歓迎した。
姉妹でずいぶんと温度が違う、と古鷹は思った。
天龍の手は冷たく、龍田の手は熱い、ということである。
了