やがてあなたと共に

 八度目の配置換えだった。
 すべて部隊ではなく所属基地の異動である。それだけ赤城は有能な空母で、また扱いにくい存在でもあった。赤城の技量は卓犖としており、引き手は数多あったが、同時に引き取った手に余りあるために、すぐによそにやられていた。それが今回で八度目というわけである。
 赤城には友人というものがいなかった。仲の良い者は何人かいたが、それも友とよべるものほどのものではなかった。
 なにも赤城の人格に問題があったわけではない。
 赤城は多少のんきなところはあるものの、戦場ではしっかりとしているし、戦いぶりは激しいとさえ言える。同僚との不和もない。指導者として見た場合、厳しくもなければ甘くもない。彼女は多分に天才肌なところがあり、感性で物事を見、考え、言葉にする。感覚でその言葉をつかめない者は、赤城の技の原理の一端を知ることさえ満足にできない。平均的にものを教えるのはすこぶるへたくそだった。
 空母としての自尊心に溢れているが、高慢ではない。挙措にただよう温和さが、周囲の彼女に対する印象に棘をもたせなかった。もちろん過剰な謙遜もない。実力・実績とつりあいのとれた歪みのない自尊である。その誇りの高さはあって当然のもので、なければかえって疎まれるものである。
 が、それゆえに、彼女は独りだったのかもしれない。だれかとしたしくなったところで、しょせん相手は赤城に並ぶ存在ではない。赤城自身は、それを理由に他人を見下す性癖はもちあわせていないが、やはり周りは赤城に気おくれしてしまうようだった。それでも赤城と一緒に酒などを楽しむのは、実力的にも艦隊では一目も二目もおかれている蒼龍と飛龍くらいのものだった。
 八度目の転属先が、日本列島から遠く離れた「タウイタウイ」というたいへん聞き慣れない南洋の地であるとわかった時、さすがの赤城も落胆した。これはいよいよ左遷されたと思った。
 出立の日、仲の良かった蒼龍と飛龍が顔を揃えて見送りに来てくれた。赤城が思わず涙を流すと、
「赤城さんらしくない! あなたは、わたしたちの自慢のリーダーなんだから、どこの海だろうと気高く戦ってくれないと!」
 と叱られた。そのふたりの目にも涙がうかんでいた。
「風に武名を乗せて、運ばせましょう。舞鶴のあなたたちに届くほどに、精々励みます」
 と、赤城は涙をぬぐい、彼女らしくおおらかに笑った。

 タウイタウイは灼熱の島である。
 人々の生活は何世紀か時代を遡ったみたいに、原始的で野性的で素朴だった。もともと文化程度の低いところに、深海棲艦の侵略があって、生活水準は衣食住ことごとく落とされていた。
 タウイタウイに設置された軍事施設は、当然ながら赤城がこれまでにいた横須賀・舞鶴・佐世保・呉などに及ぶべくもなかったが、赤城はこの泊地においてひとつの(嬉しい、幸せな)拾い物をした。
 大鳳という空母がいたのである。タウイタウイにあって際立った才覚を発揮する大鳳は武勲もずば抜けており、この島の武神のごとく尊敬されているということだった。
 当の大鳳は、しかしそうしたちょっとおおげさとも言える輿望に傲るような者ではなく、謙虚であり、気性はまっすぐに、純朴であり、そして、おのれの実力と実績と空母としての誇り高い武人だった。
 ふたりはたちまち打ち解けた。
 ある日、浜で固いパンをふたりでわけあって囓っている時、赤城はこう言った。
「わたしは今まで、友人らしい友人をつくれずにいたけれど、ここにやって来て、ようやくそれを得られたわ」
 大鳳は照れくさそうに笑って、
「赤城さんの驍名はこの遠いタウイタウイまで聞こえてくるほどだった。そんなひとを友とできるのは、わたしも嬉しい」
 と言った。
 しかし、大鳳は、また、こうも言った。
「わたしはあなたの友人になることはできる。けれど、あなたの半身になることはできない。あなたがこれまで、飛龍や蒼龍といった名高い空母を半身としなかったように」
 赤城はその意味するところをすぐには呑み込めず、きょとんとした目で、大鳳の横顔を見、碧い海を見て、パンを囓った。

 ふたりはともに武技の鍛錬にいそしんだ。互いを高めあう楽しさがあった。この手の快楽を赤城はかつて味わったことがなかった。
 それにしても、大鳳の技は変わっていると赤城は思う。
「今まで見たなかで、大鳳さんの技がいちばん、ふしぎで、おもしろくて、おどろいたわ」
 赤城は感動をこめて言った。
「巻物をつかった術のようなものだったり、糸から垂らしたからくりだったり、大弓よりも短い……モンゴル弓というのかしら? それだったり、いろいろと見たきたけれど、同じ弓でこうまで違うなんて、ほんとう、ふしぎ――」
 と言って、赤城は大鳳の持っている弩をまじまじとながめた。
 大鳳は弩を胸の高さまで持ち上げながら、
「引き金を引けば、矢は簡単に放てる。便利であり、危険でもある」
 と言い、さらに、
「利点は、ほとんど力を必要としないところ、座っていても、寝ていても、いろんなむちゃな姿勢からでも、それほど精度を落とさずに撃て、準備に時を費やさない」
 と言った。
「速射や座射の技をどれほど磨き、極めても、この一撃には及ばないでしょう」
 赤城は感嘆した。戦闘は時が要となる。簡単に、しかも正確におこなえるとあれば、この技術はどんどん広めるべきだと赤城は思うが、大鳳に言わせれば、
「簡単、というのが、くせものなんです。さっきも言ったとおり、簡単すぎて、だれにでも扱えるのが、おそろしく厄介なことになる」
 とのことである。神妙な顔つきだった。
 なるほど、と赤城は考えなおした。たしかにそれは、軽々しく広めてはならない、あまりにたやすく、強力な技術だった。

 ――あなたの友になることはできても、あなたの半身になることはできない。
 大鳳の言葉が赤城の胸の奥で高鳴っている。
 赤城はその半身が何者であるのか、これまでつとめて考えないようにしてきた。蒼龍が飛龍を得て、千歳が千代田を得た。あるいは翔鶴に瑞鶴がいて、祥鳳には瑞鳳・龍鳳が、飛鷹には隼鷹がいる。それから赤城の敬愛する鳳翔には、龍驤という気の置けない親友というか腐れ縁みたいなやつがいる。
 それはひとえに、
 ――縁はつづいている。
 ということだろう。同型艦であっても、そうでなくても、旧い縁は今もしっかりと残っていて、彼女たちを絆で繋いでいる。
 扶桑や天龍などは、提督の姓は西村でも三川でもないのに、かつて作戦をともにした仲間を集めて、それぞれに、西村艦隊だ、三川艦隊だ、と誇らしげに称している。
 それは赤城にあてはめれば「南雲」に違いなく、蒼龍に飛龍が、飛龍に蒼龍がいるように、赤城にもいるはずなのである。大鳳の言う友人でないおのれの半身。姉妹でなはなく、なのに姉妹のように繋がれた奇妙な関係。――転属すること八度、赤城はいまだに彼女に会えないでいる。どこかに着任したという風聞さえない。
 諦めのなかで意図的に忘却していた名が、大鳳によって、ふたたび、にわかに赤城の心によみがえり、その出現を渇望するようになった。
 寝ても覚めても、赤城はそのことばかりを考えた。顔は知らず、声も知らず、夢幻にひとしいそれは、しだいにはっきりとした輪郭をえがくようになっていった。
 赤城はなんとなくうきうきした。自分の想像が大きな翼を得て、羽ばたきはじめた躍動だった。
 赤城は鍛錬場で弓弦を鳴らしながら、蒼龍と飛龍を思い出していた。
 ふたりは互いによく似ていた。おっとりとしていて、流行物の服や歌や甘い物に目がなかった。すると、
(あの子はわたしに似ている)
 赤城はほとんど確信をもってそう思った。
 気がつけば大鳳がとなりにいる。
「いったい、赤城さんの半身とは、どんなひとなんでしょうね」
 と大鳳は言った。南洋の日射しをうけて、彼女の笑顔は白い砂のような光彩を放っている。
「きっと、りりしい瞳と、たくましい眉と、うつくしい鼻をもった、誇り高い空母なのでしょう。そんなひとが、赤城さんの連れ合いにはふさわしいから」
 赤城は首を振った。
「きっと、ぼんやりまなこに、八の字眉毛と、おいしい料理の匂いに敏感な鼻をしていますよ」
 大鳳は唾をとばすほど笑った。
「なぜ、そんなヘンテコなのを想像しているの?」
「わたしが、そんなだから。飛龍と蒼龍はそっくりだった。わたしと彼女もそっくりに違いないって信じているもの」
 と言って、赤城はにっこりと笑った。
 大鳳は決まり悪そうに目をおよがせた。

 それから数月ほど経って、ついにその日はおとずれた。
 岩礁の上に、ぽつんとひとりで座っていたのだと、舞風は言った。小さな、おそろしいほど小さな生命が、舞風の腕のなかですうすうと寝息をたてていた。
 このこどもは、自分は加賀であると、はっきりと、たしかに名のったと言う。
 赤城は頭が混乱した。こんなことはかつて見たことも聞いたこともない。空母のなかでは小柄である鳳翔や瑞鳳よりもさらに小さいではないか。いつか輸送任務中だとかで佐世保の港にやって来た、貧弱な潜水艇、あのまるゆとかいうちびっけつよりも、なお小さいではないか。
「加賀! 加賀ですって!? この子が――」
 そう叫ぶと、赤城は茫然自失として、しばらく指一本ぴくりともうごかせなかった。

 加賀の見てくれは、てんでただのこどもだった。背も低いが頭身も低い。頭が胴体に対して大ぶりなのである。手足は小さい。赤らんだ掌は紅葉のようだ。
 その上加賀は、やぶにらみで、すこしせむしだった。
「あの子は、とても、戦働きはできそうにない。この先、背が伸び、膂力をつけようとも、あれでは……」
 と泊地の司令官は加賀をあわれんだ。
 赤城も加賀がかわいそうでならなかった。戦で身を立てられない戦船が、いったいどうやってその本懐をかかえて生きてゆけばいいのか。
 じっさい、加賀は弓を引くどころか、持つことさえままならなかった。ようやっと構えたところで、視線は方々に散らかり、狙いが定まらない。練習用の矢ではなく戦闘用の矢となれば、矢幹は無数に分かれて隊となり、鏃は戦闘機になって空を飛ぶ。機内には加賀よりもはるかに小さい生命体が、パイロットとして乗っているのである。加賀の撃った矢は、たちまち海に沈み、パイロットは溺れて死んでしまうだろう。
 加賀は努力家で、負けん気が強く、諦めが悪く、自尊心は天のように高かった。
 毎日、早朝から深夜まで、弓の鍛錬をした。おぼつかない手つきで、定まらない目で、的にむかって弓を引きつづけた。が、いっこうに上達しなかった。当然だろう。それがゆるされる肉体の構造を、どだい彼女はもっていないのだから。加賀の心の強さも頭の賢さも、その前にはどうすることもできなかった。
「大きな弓では、加賀さんの小さな手に余る。大鳳さんの弩を借りましょう。あれは弱い力でも簡単に、正確に矢を撃てる。加賀さんも見たことがあるでしょう。どんなに体勢がくずれても、そのまま敵にむかって、まっすぐに撃てるのよ」
 ある夜、赤城は、泣きながら鍛錬をつづける加賀の手をとって、そう言った。
 が、加賀は強い声で、
「いやです」
 と赤城の提案をつっぱねた。
「どうして――。加賀さん、あなた、このままじゃあ、戦場に立てないわ。すると、そのうち内地に送られて、ただのやぶにらみでせむしのこどもとして、ふつうの生活をすることになる。もしかしたら、そのほうが平和で幸せなのかもしれない。けれど、あなたにとってはそうじゃない。あなたは、加賀だから。加賀であるかぎり、戦って、功を挙げて、幸福を得る。そうでしょう」
 と赤城が言うと、加賀は涙ではれぼったくなった顔を上下させた。
「だから、この弓でなくてはいけないのです。あなたが、赤城で、わたしが、加賀であるかぎり」
 加賀は言った。その時だけは、加賀のやぶにらみの目は、そのふたつともが、しっかりと、赤城の目を見ていた。炎のように烈しく燃えていた。……

 加賀が呉にいる鳳翔に預けられることになったのは、その夜からいくばくもない日のことだった。
「鳳翔さんはあなたの生涯の師となるひとです。よく聞き、よく助け、けっして侮ったり、軽んじてはいけません」
 赤城は、乗船の間際の加賀の手を、両手で握りしめて言った。
「はい。かならず守ります」
 と加賀は答えた。なかば泣きそうだった。泣かずに堪えていたのは、彼女の生来の気の強さだろう。
「呉には明石という工作艦がいるから、彼女を訪ねてみるといいわ。あなたの体のことで力になってくれるかもしれない」
 赤城はその旨をしたためた書簡を加賀に手渡した。
 まだまだ言い足りないと赤城は感じた。
「それから……」
 とつづけようとして、口をつぐんだ。言うべきかそうでないか迷いに迷い、歯ぎしりしたあと、しぼりだすように、
「弓矢の鍛錬を怠らないように」
 と言った。加賀の荷のなかには大弓も矢も入っている。
 加賀はうなずいた。涙の粒がぽつりと落ちた。袖で目もとをこすりった加賀は、赤城とともに見送りに来ていた大鳳にむかって、
「弓をねだってもいいですか。弩を……」
 と、ふるえる声で言った。
 大鳳はかなしげに眉をひそめ、目をふせたが、表情をあらためると、加賀の前にしゃがみ、彼女の手をとって、
「それは、加賀さんが、赤城さんやかつての鳳翔さんに比肩するほどの弓の名手になって、その技で比類ない武勲を挙げた時に、祝賀として贈らせてもらいます」
 と、やさしい声で、加賀の妥協と挫折のまじった願いをしりぞけた。
 加賀は喉から、かっとこみあげてくるものをおさえつけるように、うつむき、体を硬くしてそれに耐えた。しばらくして、加賀は顔をあげた。すうと深呼吸し、
「ありがとうございます」
 と、さわやかな音吐で、大鳳に一礼した。
 赤城や他の見送り人にも礼を言って、船に乗り込んだ。
 加賀はタウイタウイを去った。

 一年後、呉の鳳翔から信書が届いた。
 加賀はあいかわらずやぶにらみだが、せむしはすこし治り、身長と弓の腕が伸びたという。

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