その瞳に映る世界は

 青葉には目が三つある。
 顔についている目がまず二つ。それから黒いボディの一眼レフが、彼女のもう一つの目だ。たいていは首から提げていて、たまにストラップを腕にまきつけている。
 青葉はよほどカメラが好きらしい。いつもカメラを持っている。なにかを探している。見つけた被写体の前でカメラを構え、写しとめている。その姿は、古鷹の近頃視力の落ちてきたは目には、ことさらにきらきらと輝いて見えた。
 彼女からたえず溢れ迸っている活力の源は、このカメラにあるように古鷹には思われた。
 長いこと、その目から見えるものがなんなのか、古鷹は考えていた。
 青葉はたまにカメラを触らせてくれたが、触ってみたところで古鷹にはよくわからなかった。覗き窓から見る四角い世界の色彩がすこし青みがかっていると思った、その程度である。フィルターのせいだと青葉は言った。それもよくわからない話だった。シャッターボタンを押したことはあるが、フィルムが入っていないから、じっさいに写真を撮ったことはない。
 手に触れて、その重みを感じた、ファインダーに目をとおした。
 そこから見える景色は、青葉がいつも見ている景色と同じなのだろうか。
 ――いや、違う。
 と古鷹は思った。
 古鷹は写真に対して愛情を持たない。写真を愛する青葉と同じ景色を、たとえ青葉のカメラをつかったとしても、見られるとは、とうてい思えない。
 ――でも、ただ、気になるんだ、青葉。
 ファインダー越しに古鷹を見る青葉の目はまっすぐで、颯爽としている。あたたかな光をそそいでくる。その光は愛情といってよいだろう。古鷹が青葉の被写体になった時、感じるのはそれである。
 ところがカメラをさげると、とたんに青葉の目はおちつきをなくし、あたたかな光は消えてしまう。
 ふしぎであるし、なによりさびしい。
 ――なにがそう違うのか。
 それは最初、単純な疑問にすぎなかった。しだいに複雑な色合をもちはじめ、もやもやとした発散されない気持ちが古鷹の胸の奥でうずまいた。
「青葉はよほどカメラが好きなんだね」
 ある時、古鷹は青葉にそう言った。
「どうして……じゃないか、どういうところが、そんなに好きなの?」
 青葉は自室にいて、熱心にスライドビューアーを覗いていた。
 古鷹はそのとなりに椅子を持ってきて座り、そう問うたのだった。
 青葉はスライドビューアーをテーブルに置くと、そうですねえ、と首をなでながら、
「遠くのものを引き寄せて、近くに置くことができるから、でしょうか」
 と言った。
 古鷹にはやはりよくわからなかった。
 レンズを調整すれば遠くの物体が近くに見えるようになる、というのは、理屈としてなんとなくわかる。わかるのだが、古鷹が青葉のカメラを借りて、ファインダーを覗いてみて感じたのは、近くにあるものが、ファインダーを通すと遠くなるということだった。青葉の認識とはずいぶんと違う。
 青葉はいま古鷹の目の前にいるが、カメラを介すると青葉は古鷹から離れてゆく。が、青葉はそうは言わない。遠くにいる古鷹を、カメラを構えることで目の前まで引き寄せられると言う。
「そう……」
 古鷹はいちおう、納得したような息をもらした。
「カメラ、借りてもいい?」
「かまいませんよ」
 青葉はあっさり承諾した。
 カメラを手渡された古鷹は、
「青葉を撮ってみたい」
 と言った。
「かまいませんよ」
 青葉はまたすぐに快諾した。カメラを持っていないのに、カメラを持っている時のように、きらきらと笑っている。会話の中心にカメラがあると、それだけでも嬉しいのかもしれない。
 青葉は窓からすこし離れ、壁際に立った。
 古鷹はそこから数歩距離をとって、青葉に対面し、カメラを構えた。腕の角度や位置を青葉に修正される。ちょっと窮屈に感じた。慣れですよ、青葉の声がとんできた。
「よい写真を撮るコツは」
 と青葉は言った。
「被写体を愛することです」
 シャッター音が室内に鳴り響いた。古鷹はファインダーから目を離してシャッターを切った。青葉の言葉をまともにうけとめて、青葉の顔を見られなくなったのである。
 古鷹はうつむき、おそらくはひどい出来の写真をおさめたであろう青葉のカメラに目をおとした。
 古鷹はテーブルにカメラを置くと、ありがとうと、かすれた声を残して、早足で青葉の部屋を出た。一瞬、青葉のほうをふりかえると、かなしげな、さびしげな、そういう目で古鷹を見ている、いつもの青葉がいた。
 その目を、まっすぐに見る勇気は、古鷹にはない。

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