その伝承を前に

「アメリカ独立の父・リンドバーグは、幼いころ斧で庭の桜の木を伐り倒したことを、お父さんにすなおに謝ったことで、全アメリカ国民の父にさえなったのよ」
「そうなんだ」
 古鷹は夕張のでたらめな話を頭から信じた。
「古鷹くん、キミはもうすこし疑うことを覚えたほうがいい」
 と夕張は古鷹のひたいを指でおした。
「それからもうすこしすなおになったほうがいいわ」
 風呂あがりに牛乳でいっぱいやりながらする会話としてはどうなのだろう。
「すなおって、どういう……」
 古鷹は自分がすなおではない性格だとは思っていない。どちらかというと喜怒がおもてに出やすく、それをどうにか抑えようと思案しているつもりだった。
「ラムネや牛乳を瓶で飲むとおいしい理由って知ってる?」
 古鷹の問いには答えず、夕張は全然関係のないことを言った。
「知らない。どうしてなの?」
「わたしも知らない!」
 夕張はそう言うとイチゴ牛乳をぐいと飲みほした。
「うそをつくのはよくないという意味よ」
「なにが――」
 さっきから発言がとっちらかって古鷹にはうまく整理できない。
「ふつう大破≠キるほどの負傷は、ちょっとむちゃしたせい≠ニは言いません」
 わかる? とまた古鷹のひたいを爪ではじいた。
「ちょっとむちゃして突っ込んじゃったのは事実だから」
 古鷹は平然と答えた。自分のどこがうそで、どこがあやまりであるのか、古鷹には本気でわからない。
「それがちがうんだってばー」
 夕張が天井をあおぐ。
「たとえばね、こういうときに、よくつかわれる方法がいっこあって」
「うん」
「古鷹、さっきのちょっとのむちゃな戦闘をよおく思い出してみて、それから、説明して」
「うん」
 古鷹は目をつむり、さきほどの戦闘を思い出そうとした。波のせいもあったのだろうが、古鷹は戦隊からすこし突出して、敵の接近をゆるして、至近距離から攻撃を食らった。かんたんにまとめるとそうなる。
「ごめん、むちゃしちゃって」
 もうしわけなさげに古鷹は笑った。自分のいたらなさ、ふがいなさを思うと、そういう顔しかできなくなる。
「つぎにそのときの自分のポジションに、はい、あなたの妹を置いてみましょう」
 神妙な声で夕張は言った。声はすこし、彼女らしくない威圧感があった。
 ――そういうことか。
 ようやく古鷹は合点がいった。
 なんのことはない。加古が今回の古鷹とおなじことをしていれば、古鷹は怒っただろう。あぶないまねはするなとこてんぱんに叱っただろう。加古は「ごめん、ちょっとむちゃした」と言って笑って、その態度に古鷹はまた怒っただろう。
 夕張が言いたいのは、そういうことだ。
「加古、ずっと怒っていたのかな」
「どうかしら。本人にたしかめてみたら?」
 古鷹が大怪我をしても、加古は心配するだけで、怒りをあらわしたことはなかった。が、内心はどうだっただろう。飄然とした妹のおもざしを、古鷹は思いうかべた。怒りの顔が、古鷹には見えてこない。
「ごめん、いろいろと、心配かけちゃって」
「作戦命令はいつでも『いのちだいじに』よ。古鷹はたしかに重巡・古鷹かもしれないけれど、それ以上にいまここにいる、艦娘の古鷹なんだから」
 なぞる必要はないのよ、と夕張は言って、今度は古鷹のまだ濡れた髪をわしゃわしゃとなでた。
「うん」
 古昔あった古鷹山の大鷹も、かつての重巡洋艦・古鷹の生き様も死に様も、古鷹にとって無視できないものだ。だが、古鷹はそれそのものではない。
 小舟を救って消えていった大鷹にも、旗艦をかばって沈んでいった古鷹にも、人間のような手足はなかった。
 いまいる古鷹は、そのどちらでもないただひとりの古鷹でしかない。
「ちなみにわたしは怒っていないから安心して」
 わたしの仕事じゃないからね、と言う。
 加古に怒られてきなさい。そう言われた気がした。
「ありがとう、夕張」
「いえいえ」
 牛乳を飲み終わり、ふたりで脱衣所を出る。
「リンドバーグは」
「うん?」
「リンドバーグはどうして桜の木を伐ったの?」
「うーん、それは……」
 うろ覚えにてきとうをかさねて作った話にそんなこまかい設定はない。
 困った夕張は、
「鳥海に聞いたら、くわしく教えてくれるかも」
 と言ってそそくさと歩き去っていった。
 古鷹は夕張とわかれたあと、渡り廊下まで来ると、ふと中庭に目をやった。
 この庭に桜の木は植えられていないが、古鷹にはそれが見えたような気がした。
 桜の花は咲いてすぐに散る。その儚さとうつくしさを日本人は愛した。が、リンドバーグは日本人ではない。あるいはそれは、祖国からの決別の意志だったかもしれないと古鷹は急にそんな気がした。
 古鷹の目のまえで幻の桜が散った。
 ――わたしは散らない。
 そうつよく思った。

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