髪留めをはずされた色の薄い長い髪はざんばらに散っていた。
上気した頬は朱く染められていた。
金色の目は潤み、唇は自らの唾液で濡れそぼっていた。
投げ出された両脚は羞恥と快楽を得るにしたがって徐々に膝を立たせ、さやかの横腹を圧迫した。
ベッドに横たわるまどかの、着崩れた衣裳から覗かれる乳児のような肌膚を、さやかは指でなぞった。時々思いついたようにその箇所に口づけ、舐めた。腋の下や鎖骨や肩を、あるいは乳房を。それは本当にただ触れるだけのもので、愛撫とはほど遠い感じだった。愛撫というより玩弄に近かった。
そうされるたびに、まどかは体をふるわせ、ベッドのシーツと長いスカートのあいだをさまよう手は、握っては開くといったことを繰り返した。
ふるえの原因になっている感情は、なにに分類されるだろうか。まどか本人は怒りのつもりかもしれない。でも、
――そんな目で睨んだって、ちっとも恐くない。
さやかはからかうように笑った。
それを見たまどかが、くやしげに歯を噛み合わせ、顔をそむけた。その拍子に目尻に溜め込まれていた涙がこぼれた。
さやかは涙がシーツに落ちる前に指で掬い取ると、頬に手を添えて、まどかに正面をむかせた。再びそむけられないように顎を掴んで抑えると、押し上げられた顎の下から白い喉が出現した。
小さな呻き声が喉を鳴らす。かろうじて聞こえたその声は、さやかの耳に心地よく響いた。さやかは顔を近づけ、舌を這わせた。すると、まどかはさっきと同じように小さく呻いてくれた。気をよくしたさやかは、喘ぐまどかの喉元をしつこいほど舐めまわした。
顎を抑えるさやかの手に、まどかの手がかかった。さやかは無視した。弱々しいその手はさやかの行為をなんら邪魔し得るものではなかったからである。
そのうち荒い吐息のあいまに、なにか嬌声じみた、これまでと質の違う声が混ざるようになると、さやかはなぜだか急にこの喉を噛みちぎってやりたくなった。生も死もなくなった目の前の存在は、それでも生者としか思えない呼吸を続ける喉を破られたら、そこに死が現れるのだろうか。ふとそんな想像をしたのだった。
ためしに歯を立ててみる。噛みつかれた肉が恐ろしいほどの素直さでさやかの力に従い、潰れてゆく。短い悲鳴がまどかの気管を叩き、露出した胸が大きくはねた。
はたとさやかは思い当たった。
歯を立てたこのすぐ下に心臓がある。
まどかの顎と首を解放したさやかは、ベッドに手をついて、折り曲げていた上体を起こした。まどかを見下ろす。噛みついた箇所には歯形と唾がついているだけで、皮膚も破れていなかった。
顔は酷い有り様である。拭う指のない涙はこめかみをつたって髪のすきまに流れているようだった。唇の端から唾液があふれて頬を汚していた。鼻の下が濡れている。鼻先を摘んでやると粘り気のある液体が指にまとわりついた。ここまでくるとさすがに艶もなにもない。
さやかはまどかの両手に指を絡ませると、彼女の耳元に縫いつけた。
びくりとまどかが肩をふるわせる。ふるえながら、唇を堅く結び、潤む目でさやかを睨み上げた。
まどかは普段は嫌なことは嫌だとはっきり言う性格なのに、こういう時だけひとが変わったように口を閉ざした。たまに仕草や目で抗議するのが精々で「いやだ」とも「やめて」とも言わなかった。口に出して言わないのであれば、さやかにはやめてやる気は全くない。まどかの口からは求める言葉しか出てこないのだ、毎度毎度誘っておいてその態度は筋の通らない話だとさやかは思っている。
とは言え、そもそもまどかがさやかに体の関係を求めること自体、どだい筋のおかしい話なのであるが……、それに応えるさやか自身も――
ひとまずはまどかの左手を離して、代わりにシーツの上にちらばっている髪を一房手に取る。
指の腹で髪をいじりながら、さやかはこの見慣れない容貌をまじまじと観察した。
伸びに伸びた髪の長さはさておくとして、白っぽく変色しているのはどういうことだろう。染めたり抜いたりしているわけではないだろう。髪と同色だったはずの目は似ても似つかない金色になってしまっている。心なしか大人っぽくなっているように見える輪郭と鼻梁を、本当にただの勘違いで済ませてよいものなのかどうか。
軽く髪を引っ張ると、まどかは大げさな悲鳴をあげた。きっと酷く痛めつけられると思ったのだろうが、さやかは別段目的があったわけではなく、ただなんとなくそんなことをしてみたくなったのである。
「別に髪引きちぎったりしないよ。だいじょうぶだって」
あやすその言葉を昔のように優しく言えたという自信はない。まどかの目にかすかに宿った怯えの色はとりのぞけなかった。
さやかは眉間を曇らせ、かなしげに目を伏せると、まどかの額から頬にかけて柔らかい手つきで撫でた。結ばれていたまどかの唇がわずかに綻び、呆けたようにさやかの手の動きを視線で追った。
「あ……、ああ……」
「まどか」
さやかは名を呼んで、
「あんた誰だっけ」
至って真剣に問うた。
紅潮していたまどかの額がにわかに青ざめた。
遍在、ということが、さやかにはわからない。
まどかはどこにでもいるらしい。
今さやかの下で淫靡な姿をさらしているまどかは、それと同時にどこかの世界で凛とした立ち居振る舞いで、さやか以外の魔法少女の最期に寄り添っているという。
理屈ではそうなっているが、さやかには今ひとつ釈然としない。まどかは確かな姿でここにいるし、だとしたらここにしかいないはずではないか。
さやかは掴みなおした左手を胸の上に乗せ、その上に自分の手を置いた。まどかの左手越しでもはげしく上下する心臓の動きははっきりと感じとれた。胸に耳を当てなくても高鳴る心臓の音はよく聞こえた。
さやかはもう一度訊ねた。
「あたしの友達のまどかであってる?」
そう言って、まどかの両親や弟・昔飼っていた九官鳥・幼稚園時代に告白してきた男の子・淑やかで変わり者なもうひとりの親友……といった具合に列挙してゆき、その名と関係が正しいかどうか訊いた。全てまどかに関わるもので、さやかが知っていてまどかが知らないはずのないことだ。
まどかはなにも答えず、苦痛に顔を歪めるだけだった。さやかの問いが苦しかっただけではない、まどかは実際にはげしい痛みのために身悶えた。さやかは喋るごとに知らず右手に力を入れて、まどかの手と胸を押し潰していたのである。
左手を押し上げられたので、体重をかけて叩き落とした。横腹や背を蹴飛ばされたり、締め付けられたりしたが、構わず、出会った日のことや遠足などの想い出を話しては、これが本当にふたりのあいだに実在した記憶なのか、まどかに確認した。
まどかはやはりなにも答えはせず、彼女の口からは奇声としか言いようのない呻きと唾液が垂れ流されるだけだった。
上半身のおとなしさに比べて、下半身はめいっぱいの抵抗を続ける。腕は二本しかないから手を抑えている以上脚はどうにもならない。いい加減無視できなくなったさやかは、ついにまどかの両手を解放し、暴れ回る膝に手をかけて押し剥がした。
スカートがまくれて、事が始まって以来一度も触れていない場所がさやかの目に飛び込んできた。下着は着けたままである。そこだけ濃くなっている色が、いやでも中の状態を思い知らせる。手を伸ばしたさやかは一瞬迷ったが、結局下着には触らず、まくれたスカートをなおした。
まどかはさやかのそんな微々たる葛藤や指の動きには気づかない。目をつむり時折咳き込みながら、呼吸を整えることに夢中になっている。
さやかは深々と溜息を吐いた。
――自分以外の誰も、まどかを知らない。
その事実にさやかは愕然とすることがある。
まどかは鹿目知久と詢子の娘である。知久は穏和な面差しと性格の持ち主で、まどかはその温容の生き写しといってよいほど、彼の美点をまっすぐに受け継いでいた。まどかの意志の強さや肝の据わり方は母親譲りだろう。この女性はさやかの憧れでもあった。
タツヤという歳の離れた弟がいる。かわいらしい男の子で、姉のまどかを慕い、さやかにもよく懐いていた。両親が不在の時にまどかとふたりで面倒を見たことがある。市民プールやショッピングモールなどへ一緒に遊びに行ったこともある。
志筑仁美はまどかとさやかの共通の親友である。まどかとの出会いはさやかより遅く、しかし出会って以降は、多くのお稽古事に日々を追われながらも、さやかと同等の想い出をまどかとのあいだに構築してきた。お嬢様らしい品の良さと言動におかしみのある娘で、まどかは彼女のピアノ演奏を聴くのが好きだった。それぞれの家に泊まっては、深夜まで倦むことなくさまざまなことを語り合った。
その四人はまどかのことを忘れてしまっている。いや、正確にはまどかを知らないのだ。まどかの存在は最初から無かったものとして、かつて存在していたという事実ごと彼女たちの中からすっかり消え失せている。……ということになっているらしい。
らしい、というのは、さやかが実際にその目で、まどかのことを知らない家族や親友を見たわけではないからである。
死んでさやかのもとにやって来た杏子とまるで噛み合わない会話をした時、まどか本人が教えてくれた。杏子もまどかのことを知らなかった。
さやかには、世界がまどかのいない状態に書き換わる前の記憶しかない。書き換わった後のまどか不在の――厳密には概念という実体をもたないものとして存在していることはしているようなのだが――世界のことであっても、さやかにしてみれば、まどかは相変わらず鹿目夫妻の娘であり、タツヤの姉であり、志筑仁美の親友である、それは要するに鹿目まどかは今も概念などという得体の知れないものではなくれっきとした一個の人間であるという、そういう認識しかさやかはもてないのだった。
けれどもまどかは、今さやかの目の前にいるというのに、全然別の場所にいて全然違うことをしているのである。
思考も、言動も、肉体も、全てが繋がった状態のまま分離し、遍在している、と、さやかに説明したのは織莉子である。そこで初めて「遍在」というまどかの在り方を知った(このあたりのことは当のまどかもよくわかってないらしく、彼女自身が織莉子の説明に驚いていた)。
さやかの理解の外にあることで、だから問いかけたくなる。この少女は本当に自分の親友のまどかなのかと。違うのであれば、では今まどかはどこにいて、なにをしているのか。この紛い物は、いったいなんのつもりで美樹さやかに抱かれることを望み、こんな痴態をみせているのか。――
何度問うてもまどかからの返答はなかった。さやかを見上げ、ようやく言葉を発するために口をひらいたかと思うと、彼女はただ、
「さやか、ちゃん、……」
と、さやかを拒むような、請うような、そんな甘えた声で名を言うだけだった。
さやかは内心舌打ちした。これではらちがあかない。
まどかの背中に腕を差し入れ、体を起こすように催促する。のろのろと起きあがったまどかを膝の上に乗せ、腕ごと抱きかかえてやる。髪のあいだに指をもぐらせると、もうなにもしなくても、まどかはさやかの肩に自分の顔を預けてきた。
首にまどかの唇が当たり、生温い湿った感触を覚えた。別にキスしようとしたわけではないだろうが、まどかの濡れた唇と荒い吐息が、さやかの首に触れては離れてゆく。
――熱い。……
熱の塊のようである。まどかの体のどこもかしこもがやたらに熱い。さやかはありえない火傷の心配をしたくなった。
背中を撫でさすって宥め動悸がおさまるのを待ったのは、まどかを思い遣ってのことではない。早く質問の答えを聞きたくて仕方なかっただけである。わざわざ抱き起こしたのも、このほうが聞きもらさずに済むと思ったに過ぎない。
背中を撫でたのは逆効果だったらしく、まどかはすすり泣きを始めてしまった。
――あたしは、誰なんだろう。
このまどかがたとえ「似非」であったとしても邪悪ではないだろう。邪悪でないものをたやすく傷つけ、嬲りものにする人間に成り下がった自分こそが、実は「似非」なのかもしれない。
しだいにはげしくなってゆくまどかの嗚咽を、さやかは半ば呆然としながら聞いていた。
しばらく経って、気が落ち着いたのか、ただ泣き疲れただけなのか、とにかくまどかが静かになった。
さやかは抱きかかえていたまどかの体を寝かせると、自分はベッドから降りた。
まどかの前にしゃがみこんで、
「体、洗おうか」
「ん……」
さやかに合せるようにまどかは横向きに寝返りをうった。
「お湯に浸かる? シャワーだけで良い?」
そう訊くと、まどかはそのどちらもに窮屈そうに頭を振った。
「わかった」
さやかはベッドから立ち上がり、
「桶持ってくる。ちょっと待ってて」
と言って、まどかを残して部屋を出た。
「出歯亀――」
ドアのすぐ横で膝を抱えて座っている杏子がいた。暗がりでよく見えないが、たぶん赤面している。
さやかは驚くよりも呆れた。勝手に家にあがりこんで、その上のぞきとは。
「違う」
「じゃあピーピングトム」
「のぞいてねえ!」
小声で怒鳴る杏子を無視して、さやかは浴室に向かう。杏子が追いかけてくる。
「まどかが変なことされたらすぐとめられるように、外で控えてたんだ」
「変なことならずっとしてたけど」
「そうじゃなくて、暴力とか、怪我するようなこと――別に好き合ってる同士がそういうのするのは、とめやしない、けど、さやか。おまえ最近変だし」
「ああ、そういうこと」
暴力的なことを行なえばまどかは抵抗するが、制止の言葉を放つことはない。悲鳴や呻き声は甘い嬌声と杏子はとらえたらしい。さやかが話す声は聞きとれなかったのだろうか。たしかに部屋はそれなりに広いし声はそれほど大きくなかったが、だとしたら杏子が部屋に飛び込んでくることはなさそうである。
浴室に入ると、蛇口をひねって大きめの桶に水を流し入れた。温水が出だすまで少し時間がかかる。そのあいだに脱衣所に出て、体を拭うためのタオルを何枚か引っ張りだした。
湯のたまった桶にタオルを一枚放り込み、残りは杏子に持たせて、自分は桶を抱えた。
部屋に戻る途中、
「まどかと友達なんだろ。なんでふたりとも、一緒にいる時いつも全然楽しそうじゃない顔してるんだ」
と、杏子が言った。
「そんなことないと思うけど……」
「あるよ。まどかはびくびくしてるし、おまえは……魔獣相手にしてる時みたいなおっかない顔だ」
魔獣と言われてもさやかにはぴんとこない。書き換わった世界で魔女の代わりに登場した怪物である。当然さやかは魔獣と戦ったことがない。
影の魔女との戦闘後、まるで魔女でも見るような目をさやかにむけて立ち竦むまどかの姿を思い出した。あの時もどんなに優しく宥めても、まどかは怯えたままだった。もしかして今の自分たちはあれと同じ状態なのか。そうかもしれない、とさやかは思った。
「前は違ったって聞いたぞ。あたしがこっち来た時だって仲良かったじゃないか。なのにどうしたんだ、いったい」
「そうだね」
まどかの部屋の前に到着した。
「杏子が来たあたりから、なんかあたしたちの調子狂いっぱなしだわ」
「あっ!? あたしのせいなのか!」
「違うわよ」
杏子に桶を預けて、ドアを開いた。
さやかは唇を噛んだ。嘆息して、
「杏子、お湯張ってきて」
「え――」
「お願い。張り終わるまでこっちのことは放っといて」
杏子の返事を待たずに、桶の中のタオルを取って軽く絞ると、部屋に入り、ドアを閉める。
濡れて重くなっているタオルをまどかに投げ渡した。
「杏子がお風呂用意してくれてるから。下着脱いで、そこだけでも先に拭いておいて」
そう言うと、さやかは洋服箪笥を開け、寝間着と新しい下着を探した。引き出しの何段目になにがしまわれているのか、まだ把握しきっていない。そのせいで少し手間取る。
まどかは肩口に落ちたタオルを掴み、床に両脚を降ろして、体を起こした。
「杏子ちゃん来てるの……?」
「うん。まどかのこと心配だからってさ」
それだけを言った。部屋の外に張り付いていたこと、おそらく聞かれていたであろうまどかの淫声については言わなかった。まどかがそのことに気づいていないのなら言う必要のないことだった。
――放っておいたあたしが悪いのかな、この場合は。
さやかが部屋を離れているあいだ、そのさして長くない時間、まどかは自分を慰めていたのだ。それが手や腿だけでなく長い髪にまでへばりついていた。踵のあたりまで伸びて広がっているのだから、横になっている体勢では、少し動いただけでいやでもそうなる。
よほど精神状態が良好な時でもなければ、さやかはそこに触れようとしなかった。赤く腫れた・ひだの多い・粘性を帯びたそのうつろは、さやかにはおぞましいグロテスクな物体としか思えなかった。自分のものをまともに見る機会など滅多にない。まどかのものしかほとんど知らない。さやかの感覚としては、それはまどかしか持ち得ないものである。事後布で拭き取るくらいならしてやれるが、指を入れたり、舌で舐めるなどごめんだった。
まどかの手が全く動いていない。背後からそれらしい音がしてこないのに気づいたさやかは、
「早く」
と、引き出しに目を落としたまま言った。用意すべきものはとうに用意し終わっている。まどかの戸惑いと躊躇いが背中にぶつかってくる。
「でも」
「早くしないと杏子が来るよ。……あたしも見ないから、早くして。そのままで家の中歩けないでしょ」
いらだちごと吐き棄てて言った。
まどかがまた泣いてる。
昔からまどかは泣き虫だ。さやかのよく知るまどかだ。それなら、さやかはただちにまどかを慰めなければならない。昔からそうしてきたのだ。まどかが泣いている時には傍に寄り添い、抱きしめ、言葉で、指で、いつも慰めてきた。それがまどかの知るさやかのはずだ。
そうと理解しながら、さやかはまどかにそれをできなかった。慰める言葉も抱きしめる腕も今のさやかは持たなかった。
淫蕩にふけるまどかのことなど、さやかは知らない。
さやかを情事に導き、キスや愛撫をねだり、よがり、淫らな声をあげる少女が誰なのか、さやかにはわからない。
さやかは立ち上がった。振り返り、まどかの近くに行った。
まどかの手がとまる。
肩を突いてやると、まどかの体はあっさりと後方に倒れた。その上に覆い被さってさやかは言う。
「あんたは誰なの」
「わたしは、まどかだよ」
ふるえる声で、しかし今度はすぐに言い返した。
「紛い物なんかじゃなくて、本物の鹿目まどかだよ。他のところになんていない。ちゃんとここにいる。さやかちゃんと一緒にいる」
嗚咽に邪魔されながら、まどかは言うだけのことを言い尽くそうと、嗄れた声を絞り出す。
「パパとママの子で、タツヤのお姉ちゃんで、小学五年生の時に見滝原に引っ越してきて、朝、登校してる時に転んで、さやかちゃんが助けてくれた、わたしの友達になってくれた、いろんな場所に連れて行ってくれた、友達も想い出も、さやかちゃんにたくさんもらった、仁美ちゃんとも友達になれて、さやかちゃんがずっと傍にいてくれたから、わたし、気づかないうちに、恋、も、してた」
「……あたしに?」
まどかの首に手を添え、親指を咽頭に押し当てる。まどかは抵抗しなかった。うなずき、
「さやかちゃんが上条くんのこと好きだって、教えてくれた時に、きっと、わたしもさやかちゃんのこと好きになってた。さやかちゃんが、上条くんを好きなのと、同じ好きになってた」
さやかは一層強い力を親指にこめた。指が沈むごとにまどかの声も潰れていった。自分がどうしてそんなことをするのか、さやかにはわからなかった。まどかの告白を聞きたくなかったからかもしれないし、もっと単純にまどかの息をとめたかったからかもしれなかった。
「さやかちゃんが抱きしめてなんて言えないって言った時、わたしが抱きしめてあげたかった、キスしてなんて言えないって言った時、キスしてあげたかった、わたし、さやかちゃんに、抱きしめてって言いたかった、キスしてって言いたかった。でも、そんなのできない、わたしに、そんなこと言えない。さやかちゃんは上条くんが好きだから」
恭介の名を出されて、消えたはずの痛みがさやかの胸に蘇ってきた。さやかはこの泣きやまず喋りやめない口が憎たらしくなってきた。
でも結局、まどかは言ったのだ。抱きしめてと言い、キスしてと言った。さやかはそれに応えた。家族や友人がまどかのことを忘れたことは知らなかったが、まどかがキュゥべえとの契約によって家族のもとを去り、ひとりぼっちになってしまったことを、さやかが理解できないはずなかった。
親を失ったのであれば親になってあげようと、さやかは思った。家族を失ったのであれば家族になってあげようと思った。友を失ったのであれば自分だけはまどかの友であり続けようと思った。恋人を求めるなら、生涯の伴侶を求めるなら、自分がそうなろうと思った。親でも姉妹でも恋人でも親友でも、どんな形であってもまどかの欲しがる愛情には全部応えてあげたかった。
そうしてさやかは、そのとおりの愛情をまどかに注いだ。杏子が来る以前の話だ。
「杏子はあたしのことを友達って言った。あたしには杏子と友達になった記憶はないけど、杏子があたしのこと友達だって言うならそれでかまわないと思ってる。でも、杏子と友達だったあたしは、まどかのことなんか知らない。あたしはまどかと友達なんかじゃない」
さやかは言った。
無抵抗のまどかの唇は「違う」と動いているように見えた。音のほうは潰れきってなにを言っているのか、まともに聞きとれない。
さやかは親指の力を弱めた。
「違う。わからない。でも、違う。さやかちゃんとわたしは、本当に」
「だったらなんで、あたしはまどかのこと知ってるの。なんで死ぬ前は杏子と友達じゃなかったの。本当は全部あんたが勝手にやってることなんじゃないの。自分と家族のこと知ってる人間が欲しくて、あたしに嘘っぱちの記憶植え付けて。まどかとの想い出も、気持ちも全部」
「違う……。違う、違う、違うッ! わたしは、……わたしは、そんな――」
「なにが!? 違うのよ! だって、本当にあたしがまどかの友達なら、まどかがあたしの友達なら、こんなことするはずないじゃない!」
まどかの頬に雫が落ちて潰れた。まどかの涙ではない。さやかは自分が泣いていることに気づいた。
「まどかのこと、ずっと大切にしてきたのに……、守ってきたのに……、どうして、こんなこと……」
とめようのない涙がこぼれ続ける。まどかの涙と混ざり合い、流れていった。
杏子が戻って来るのをさやかは待った。
早く戻って来てこの救いようのない友達を殺してほしかった。
了