月下に繋がる

 街と海を遠望できる高台の上に、その独り暮らしにはとうてい不釣り合いな大邸宅はあった。
 中南米の某国で反政府組織に拉致された雪音クリスが日本政府に保護され、祖国の土をふたたび踏もうとした足を乱暴な手で捕えてその邸に放り投げたフィーネは、邸内から出ることをクリスに許さず、最初の一ヶ月を徹底した恐怖と沈黙の監視の中に閉じ込めて過ごさせた、二ヶ月目はすっかり畏縮しきったクリスに今度は多弁を労してやさしく接し、それをまた一ヶ月つづけたあと、フィーネは深夜にクリスの部屋に侵入し、ベッドに横たわっているこれまで夥しい数の男に玩弄されてきた体をおもむろに開いた。
 クリスはまったく怖れもせず抗いもせずに、おどろくべき素直さでその身をフィーネにゆだねた。
 クリスはどうみても心身から耽溺しているふうではなく、ただうわべはそう演じるようにフィーネの下で、身をよじり淫らな声をあげて、卑猥に踊ってみせた。
「あわれな娘、呪いの娘よ」
 そう言ったフィーネの言葉の意味はクリスにはわからなかったようだった。あるいはただ、聞こえなかっただけかもしれない。憎悪と嘆きの言葉にクリスはなんの反応も示さなかった。彼女はもっぱらに自分の赤く腫れあがりいびつに変形したその内部でうごめくフィーネの手に反応している。まるでそこにもうひとつの心臓があるみたいに、ただしはなはだ不安定な間隔で鼓動していた。
「人はここから生まれてくる。知っているか」
 荒い息で肩を上下させてわかりづらいが、いちおうクリスはうなずいたようだった。
「子を為したことはある? 堕胎したことは? 直接精をぶちこまれたことあるか?」
 次々に問いを投げつけていったが、クリスはそのたびにちいさく首を振った。なぜ、そんなことを訊いてくるのか、必死に呼吸をととのえながら、そう言いたげな目でフィーネを見つめてきた。
「大事に扱われていたのね」
 フィーネはなにも皮肉のつもりで言ったわけではないが、性的虐待以外にも暴力を受けていたことがありありとわかる、おせじにもきれいとは言いがたい傷だらけの肉体を、クリスは所有していた。
 フィーネはクリスの太腿を持ち上げる左手を離し、自分でささえているように言いつけると、その手をクリスの陰門に差し込み、強引に押し広げた。
 空気を裂くような悲鳴があがるものと予想していたフィーネだったが、それはクリスの喉もとにとどまって、出てこなかった。見れば、白い歯をむきだしにするほど強く食いしばっている。
「そうね。こんなことは一度や二度じゃなかったのでしょう。慣れたものよな」
 両手を引き抜いて門を閉じたフィーネは、不機嫌そうに言った。その損ねられた機嫌をフィーネ自身が意外に感じた。いったい自分はこの娘になにを期待していたというのだろうか。フィーネはますます不機嫌になった。
「起きなさい」
 と言ってクリスに上体を起こさせた。
 その肩に手を置いたフィーネは、今度は中指一本だけをその陰部に差し入れて、ゆるくうごかした。
「古昔、黄土の人間は太陽はここから生まれると言った。知っている、クリス?」
 クリスはまた首を振った。
「では月はどこから生まれてくる?」
 フィーネは指をとめないまま問うた。
 喘ぎながら、クリスはフィーネの腕にすがって、体をささえ、
「う、み、から、……」
 とかすれた声で答えた。クリスがフィーネの問いに対する答えをもっていたことに、フィーネはかすかに驚いた。
「海――。海から月が生まれる……。それは誰から聞いた話なの」
「ママが、そう、言ってた」
 クリスはきれぎれに言った。フィーネの肩口に顔を押しつけているせいか、声がくぐもっている。
 月の満ち欠けと潮の満ち引きには密接な関わりがある。なるほど、クリスの母の言うこともない話ではない。が、それもフィーネには気に入らなかった。からかいのつもりで問うたのに思いがけず答えを返されたのが癪に障った。
 フィーネは人差し指を追加で入れて、爪の長い二本の指を水でもかき混ぜるようにうごかした。
「いっ――、ああ、……んう、……あっ、ああっ……」
 だんだんと虚飾のない生々しい声でよがるようになってきたクリスを、フィーネは鼻で笑った。
「ずいぶんと余裕がなくなってきたじゃない」
 額を肩にこすりつけたまま、クリスはかぶりを振った。最初からそんなものはないと言いたかったのだろう。口からはあいかわらず嬌声が漏れ出るだけだ。
 フィーネは指を抜いて、それをクリスの髪にからめると、梳くようにして付着していたけがれを拭った。もちろんその程度ではけがれは拭いきれないが、フィーネは放置した。
 フィーネは今度は自分の腕にしがみついているクリスの手をほどき、手首をつかみあげて、彼女の右手の中三本の指を咥えて、舐めはじめた。
 その意図のわからないクリスは、肩で息をしつつも、ぼんやりと気の抜けた目でフィーネの動作をながめていた。
 フィーネの平生は蛇のように鋭い目はこの時どこかうつろとしていて、どこをみているのか、クリスにはわからなかった。窓の外に白く浮かぶ月に生気を吸いとられたようで、死人が動いているようにも見えて、クリスにはなんとなくぶきみに思われた。咥えられている指の感触もよくなかった。
 指を濡らしてなにをしようというのだろうか、あるいはなにをさせようというのだろうか、クリスにはさっぱり想像もできなかった。
「あっ!? あああああッ――」
 突然、クリスは絶叫した。
 ベッドに倒れ込んで、激痛のはしる手を握りしめて、のたうちまわった。
 フィーネは口の中の爪を音を立てて吐き出した。
「おぼえておきなさい、クリス。これが私たちの絆、その痛みだけが、あなたと私を虚空にて、繋ぎ、通わせる唯一のもの――」
 そう言って蛇のように大口に笑みをつくったフィーネは、実際に虚空をつかむようなしぐさをした。
 痛みに身悶えるクリスにそれが聞こえていたのか、どうか。
 白いベッドシーツに赤い血が飛び散る。
 室内にクリスの悲鳴が響き渡る。
 月光のもとで、それらは青黒い海にはねる水飛沫と波音にひとしかった。

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