風鳴翼はこう言った

 風鳴翼はこう言った。
「私にはいくつもの欠点がある」
 だから雪音クリスはこう訊いた。
「たとえばどんな?」
 風鳴翼はこう言った。
「部屋がかたづけられない」
 そして部屋のそこかしこの、かたづけられていない衣類や文房具やチラシや雑誌類を指さした。
「たしかに、ビックリするくらい、かたづけられないな」
 雪音クリスはうなずいた。重ねて訊く。
「それで他にはなにがあるんだ?」
 風鳴翼はこう言った。
「証拠はないが学科のいくつかは5段階評価の2がある」
「そりゃ意外だ。いったいどの教科が駄目なんだ?」
「ひとつは、生物」
「へえ、あの子が得意な教科だな」
「ひとつは、化学」
「ああ、アニメアニメうるさいのが好きな教科だな」
「ひとつは、数学」
「あたしのクラスの友達が学年トップを獲ったやつだな」
「もうひとつは――」
 風鳴翼はそこで一度言葉を切った。
 散らかった部屋にしばし沈黙が流れる。
「もうひとつは?」
 じれったくなった雪音クリスはつづきを急かした。
「音楽」
「マジか」
 風鳴翼は深くうなずいた。
 そして樹海から毛筆道具を引っ張り出すと、筆に墨をたっぷりと含ませて、一筆走らせた。
「油断大敵」
 そう書かれた和紙を雪音クリスに押し付けると、風鳴翼はこう言った。
「雪音も、よくよく肝に銘じておくように」
 ――いらねえ。
 雪音クリスは恭しく受け取った。

 いやはやしかし。
 自室の襖に「油断大敵」の紙をセロハンテープで貼り付けたクリスは、それをまじまじと眺めながら、となりに立っている翼に目を向け、あらためて驚いた。
 いやあ、本当に驚いた。
「お前、譜面読めねえんだな」
「私は感覚派でな」
「ボイトレとかちゃんとやってんだろ?」
「ああ、あの先生はきびしいぞ。雪音もどうだ、今度一緒に行ってみるか」
「きびしいのはごめんだなあ」
 と言ったあと、
「シロウトがほいほい顔出してもいいのか?」
 と訊いてみた。トップアーティストの受けるレッスンの内容だ。さすがにちょっとは興味がある。
「もちろん。私から話を付けておく」
「じゃあ、見学くらいは行ってみようかな」
「そうか。――そうか、そうか。来たくなったらいつでも言え。事前に先生に連絡しておこう」
 なにやら浮かれた声だった。表情は真顔だった。きもちわるいとクリスは思った。
「そりゃどうも」
 ちょっと引き気味な声になったが、翼には気づかれなかったようだった。クリスは内心ホッと息を吐いた。
「譜面教えてやろっか」
「雪音がか?」
「こう見えてもひとに教えるのはうまいぞ、あたし」
 根拠はない。自信はある。
「そうか――」
 翼はほんのすしだけ、よほど注意深く見ていないとわからないくらい、ほんのちょっと、笑った。
 ような気がした。
 だけかもしれない。
 どうにも、わからないひとだ。この風鳴翼というひとは。
 クリスは髪を掻いた。
 ぽんと頭に手を置かれた。
「ありがとう」
 そんな言葉が降ってきた。
 見上げる。
 今度は一目ではっきりとわかる。
 やわらかい笑みをたたえた風鳴翼がいた。
 ――やっぱりきもちわるい。
 雪音クリスはそう思った。

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