こんにちは、夏

 ビーチサンダルを買った。
 これといってしゃれたところのない地味なサンダルだった。足をひっかける以外になんのとりえもないと言えるだろう。
「もっとかわいいのにすればいいのに」
 そう言った響は、揃いのものにしたいからと、未来と同じビーチサンダルを買った。
 夏期休暇だといって、別段海に行く計画があるわけでもない。外出の目的はショッピングそのもので、ただ時節柄なんとなく買う物もそうなっただけである。
 つぎは水着だね、と足取りもかるく、水着コーナーに向かう響の背を、気のり薄な未来の目が追った。
 どうせ行くなら、海よりも市民プールがいいと未来は思う。この時期どちらも混雑しているに違いないが、それでも水遊びするなら、断然プールのほうだ。これには明確な理由がある。しかし、根拠はぼんやりとしている。
 ――海よりプールのほうが危険が少ない。
 それだけの話だ。一般的な感覚に身を任せればそうなるだろう。
 水着のほうは多少考え込んだ。すこしばかり値が張ってもよいものを選びたかった。できれば、同年代の他の女子よりも、目立たぬていどにがっしりとした体格を、やはり目立たなくできるようなものを。一度競技者としての体をつくってしまうと、なかなかそこから抜け出せない。こういう時にそれを実感する。陸上を辞めてから、もうずいぶんと時間が経っている。
「これとか、どうかな」
 響は未来の肩口に白と水色のパレオタイプの水着を添えた。
 せわしなく物色していると思っていたら、さがしていたのはどうやら自分の水着ではなく未来の水着だったらしい。
「あとは……これ?」
 そうやって、これ、これ、とつぎつぎに水着を差し出してくる。未来に好みのものを訊いているふうで、返答を待つそぶりがない。
「じゃあ、これにする」
 未来は響の手から水着をとりあげた。体格をかくせそうなちょうどよい感じの水着だった。
「試着してくるね」
 と言って、未来は試着室に入った。
 服を脱ぎ、鏡の自分を見て思った。
 首が太く肩幅が広い気がする。
 太腿の筋肉がいやにしっかりとついている気がする。
 全体的にやわらかさにかける輪郭を引いている気がする。
 まさに、ただの気のせいだろう。ひとが見れば未来は小柄で痩身な少女に見えるはずである。
 ――ばからしい。
 未来は溜息を吐いた。それから胸に指をあてて、そっと撫でた。そこにはなにもない。なにか、があるのは、響のほうで、そのなにかとは、傷痕である。
 響がそれを気にしなくなったのはいつ頃からだったろう。
 リディアンに入学してからなのは確かだ。
 思い出そうとして、思い出してどうするものでもないことに気づいて、未来はやめた。
 水着の着心地は悪くなかった。響に見せようかと思ったが、どうせあとでいくらでも見せることになるのだからと、早々と着替えた。
 試着室から出て、周囲を見渡したが、響の姿はなかった。となりの試着室の下に響が履いてきたスニーカーが乱雑に置かれている。いいものを見つけたらしい。
「響――」
 と低い声で呼びかけた。
「んーもうちょっと待ってー」
 カーテン越しにくぐもった声が返ってくる。
 ほどなくしてカーテンが開かれた。
「あれ、未来、水着は?」
 かるく驚いた響が、目をみひらいて言った。
「もう脱いだ。これに決めたわ」
 と言って、未来は水着を胸の前まで持ち上げた。
「えっ、見せてくれないの?」
 さらに驚いて言う響を未来は無視して、似合っているよ、と笑ってごまかした。
 響は首をかしげながら、未来に後押しされたのがうれしいようで、
「じゃあこれ買うね」
 とあっさり言って、ふたたびカーテンを閉じた。
 どんな水着を着ているのか未来はちゃんとは見ていない。似合っていたかどうかもわからない。
 未来は胸のまんなかの傷を見ていた。それしか目に入らなかったと言ってよい。
 響がもはや気にしていないことを、未来はいつまでも気にしている。それを響に気取られるわけにはいけないのに、うまくごまかしきれない自分に未来はいらだった。もし勘づかれたら、響はまた気に病むことになるだろう。そうあってはならないのだ。
 試着室から響が出て来た。
 会計を済ませて、フードコートで昼食をとると、ゲームコーナーで時間を潰し、外がわずかばかり涼んできた頃、ふたりはショッピングモールを後にした。
 夕暮れに蝉が鳴いている。
 この街の蝉は鳴き声が単調だと感じる。一種類の蝉しか存在しないのかと思う。かと言って郷里を懐かしむ心はない。蝉よりひどい喧騒から逃げ出して今ここにいるのだ。
「コンビニ寄って行っていい?」
 響が言った。
「いいけど、なにか買い忘れ?」
「うん、ちょっとねー」
 にこにこして響は小走りに走った。未来も追いかける。
 コンビニエンスストアに入った響はアイスコーナーに直行した。
 なんだそんなことかと、未来はなかば呆れた。
「未来はいらないの?」
「私はべつに、いい」
「そっか」
 響はアイスキャンディを一つ掴み上げた。
 店を出てすぐに響は包装を破った。
 中身はソーダーバーで、半分に割れるタイプのものだった。
「はい、どうぞ」
 と言って、響はなにくわぬ顔で分れた一本のソーダバーを差し出した。
「私は、いらない、って言ったんだけど……」
「ほしい、って言ってたと思う」
 響はわけのわからぬことを言った。
 不得要領のまま未来は受け取った。そうしなければ、いずれ溶けて落ちてしまう。響は引き下がりそうにない。
 つめたい、おいしい、とたのしげに感想を口にする響のとなりで、未来はしかたなしに一口食べた。
 サイダーのさわやかな甘味が口の中にひろがり、喉を通りすぎていった。
「お味はどーお?」
「おいしい」
 きらびやかな響の笑顔に未来はそっけなく答えた。
 気分はわるくない。
「ゴキゲンいかが?」
 響がまた訊いた。おどけた口調だった。
 未来は言葉に詰まった。
 ごめんなさいと言おうとして、それをやめた。もう一口ソーダバーを食べる。満腔に颯爽とした風が吹いているようだった。この風は未来のくだらぬ溜息を響が拾い上げた証明だろう。
「ありがとう」
 機嫌がいいともわるいとも、未来は答えなかった。
 そのかわり、一切のごまかしのない笑みでそれを言った。

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