墓参り

 津山が婚約者の未来と連れだって天羽奏の墓に参ったのは、ねっとりとした暑気を払いつつあった初秋の、まだ霧のかかる早朝のことだった。
 退役後は郷里に戻って家業を継ぐことになっている津山は、一度未来を伴って実家に帰り両親に紹介すると、その日のうちに同棲先のアパートにとんぼ返りし、引っ越しと結婚の準備を手早くすませて、当日までに空いた数日の暇の一部を、奏の墓参りにあてることにした。郷里に帰ってからではそう容易に来られるものではないから、ほとんど最後の墓参りという気持ちだった。
 未来に手伝われながら、津山は、墓石を磨き、雑草を抜き、玉砂利を整えて、ごみを掃いた。それらはいつもやっていることだったが、いつもより丁寧にやった。いつも丁寧にやっているつもりだったが、やはりいつも以上に慎重に丁寧やったのである。時々ひたいの汗を袖でぬぐいながら、いたわるような手つきで、その終わりを惜しむように、時間をかけて、すこし古ぼけてきた墓をぴかぴかにしたのだった。
 奏の死から、いつか十数年の歳月が流れていた。この墓の下に奏の遺骨はなく、戦没地にわずかに残っていた灰は天羽家の墓に家族とともに納められている。
 花を捧げ、水をかけ、線香を焚いた。未来は津山の半歩ほどうしろに立っている。ふたりは、合掌・瞑目した。長い時間、そうやったまま、うごかなかった。
 津山の胸にさまざまなことがよぎった。自分よりもずっと年下の少女に助けられてから、津山はひとつ大きな心の目をひらいた。奏とは最初の接触以来ほとんど会っていないし、言葉だってちょっとばかしかわしただけだ。その程度の関係だったが、彼女の言葉のひとつひとつを、津山は今もあざやかに思い出せる。ここに到る道筋をつけてくれた言葉であり、歌である。
 思い返してみると奏は特別なことを言ったわけではなく、災害時における救護者と被救護者が持つべき当たり前の心構えを言っただけかもしれないが、その当たり前を当たり前であるがために、どこか心の浅いところで形だけで受けとめていた自分を、津山は奏の言葉のために自覚したと言ってよい。同時に、その空虚な器が、確たる生命と意志を宿した。あの日、奏の歌を聴いたから、それをできた。津山はそう思っている。
 やがて、急速に日がのぼり、あたりが明るくなって、瞼の裏も赤く染まってきて、ようやく津山は目と手をひらいた。
 振り返ると、未来はまだ手をあわせていた。
 津山はしばらく待った。
 未来が目をひらいた。
「奏さんのお墓に手をあわせるの、そういえば、初めてでした」
 と言って、未来は、かすかに笑った。津山が初めて未来に会った時よりも、彼女はずっと背が伸びて、輪郭としっかりとして、鼻梁はすっきりと抜け、強い意志を感じさせたまなじりは、その強さをたもったまま、鋭さをおさめた柔和を付け加えていた。平凡な言い方をすれば目も醒めるような美人である。
 津山は意外な感じで、
「連れて来たこと、ありませんでしたっけ」
 と頭を掻いた。言いながら、一緒に来るのは初めてかもしれないと思った。
「前々から、お参りさせてもらおうと、思っていたことは思ってたんですが……」
 機会がなかったのだろう。津山は単純にそう考えたが、未来は違うことを言った。
「勇気がなくて」
 と未来が眉に翳を落として言ったものだから、津山は一瞬驚き、――いや、それはむりもないことだ、と彼女の過去を思った。伴侶に対する形容として適切かはわからないが、未来は勇者である。きわめて勇敢な女性である。それは津山だけでなく未来を知る多くのひとが同じ印象を持っているに違いなかった。だが、その豊富な勇気は、困難や悪意と闘う勇気である。この場合必要とされる勇気ではなかった。
 未来とその親友・立花響の過去を知らないわけではない津山は、しまった、と自分の気遣いのなさを叱った。
「むりに連れて来てしまって、もうしわけない」
 と津山は謝った。
「いえ、むりとは思っていません。来られてよかったと思います。どのみち、来なきゃいけないところだったんです。でも、自力じゃ、もしかしたら一生むりだったかもしれない」
 未来はふっと重い息を吐いた。気持ちは多少軽くなったようだった。未来は天を仰ぎ、
「おかげで、やっと、ちょっとだけ、気がすんだかも」
 と言うと、津山にむかって礼を言った。
「気がすみましたか」
 津山は言った。
「ちょっとだけ、ですけどね」
 未来は翳のない笑貌をうかべた。数十年、乗りかかっていた重石をはずしたような、がんじがらめの糸がほぐれたような、膿を取り除いたような、溜め込んだ鬱憤を晴らしたような、そういう気持ちです、と未来は言った。
「それはよかった」
 津山も笑った。
 帰りのくるまのなかで、助手席の未来が言った。手をあわせながら、奏と会話していた。それはもののたとえであり、じっさいは未来が一方的に、頭のなかで喋り詰めに喋っていたわけであるが、それはあのツヴァイウィングのライブの惨劇以降、響が辿った人生の足跡であり、ついに変わることのなかった響の心の在り方であり、たあいない近況の報告であり、そしてまた、響への迫害に対する恨み節と、響を救ってくれたことへの感謝と、その置き土産が響の体を蝕んだことへの、逆恨みというか八つ当たりみたいなことも、全部まとめてぶちまけたと言う。
 津山は反応に困った。未来にはこういう、豪放とまではいかないが、妙にあけすけなところがある。津山としては未来が奏の墓の前で手をあわせなにを考えていたのか、知るつもりは全然なかったのだが……。
「ちょっと、と言っていましたよね」
「ちょっとです」
「まだまだ、足りませんか」
「足りませんね」
 ふたりは苦笑をかわしたあと、ほがらかに大笑した。
「では、また、奏さんのお墓参りに行かないと、いけませんね」
「はい、今度また、連れて行ってください」
 甘えるようにそう言ったのは、未来の我儘であろうし、津山への優しさでもある。

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