響と未来と十二の月・一

 春休みが終わった、始業式の日、響が三年の教室にむかうと、廊下にむらがる生徒たちのなかに未来の姿を見つけた。未来のほうも響に気づいたらしく、教室の入口に貼り出された座席表を指さて笑いかけた。それを見て、
 ――さいさきは悪くない、かな。
 と響は胸をなでおろした。
 三年に上がって初めて未来とおなじクラスになれた。学校側のはからいでそうなったには違いないが、からい目でみれば、結局そのていどのことしかしてくれなかった。
 いまさら、という思いは、たしかにある。
 いまやだれも事件のことを口にださないし、生存者である響を糾弾しない。平穏な生活はすでに響のもとに帰って来ていると言えなくはない。
 当時、響の唯一の庇護者と言ってよかった未来を、波風がおさまったあとにようやくおなじクラスにいれるのは、いかにも遅かった。具体的には丸一年遅い。
 ただし、穏やかな学校生活にいごこちの悪さを感じていたことも事実である。なにもかもなかったことにして、そらぞらしい態度で声をかけるクラスメイトたちに、やはりそらぞらしい態度でかえすのが、響には苦痛でならなかった。苦痛を感じること自体が苦痛だった。未来がいればその苦痛もやわらぐ。
 最後の一年をほんとうに平穏のうちに終わらせることができれば、三年間の中学校生活のうち二年は無難に過ごせたことになる。艱難辛苦であったのは全体の三分の一にすぎず、たいしたことはなかった、と言ってやることだってできるだろう。表面上はそうなるのである。気休めには違いないが、ここではその気休めが必要だった。
 教室に入ったところで、することはとくになかった。みじかいHRのあと、すぐに帰らされた。
 当然、響は未来と一緒に帰った。ふたりの家はそれほど離れていない。
 これといってなにもない帰り道である。
 歩いていてもなにも起こらない。この数ヶ月はずっとそのようにして静かだった。響か未来がしゃべりださなければ、だれの声も聞こえない。電柱にも曲がり角にもだれもひそんでいないし、なにも飛んでこない。
 平和であるが、違和感をぬぐえない。問題はなにも解決してはいない。解決していないのに、あたかも解決したかのように、あるいは問題など最初からなかったかのように、響の周辺は静かになり、そして、にぎやかになった。攻撃性のない喧騒がある。学生特有の、おちつきのない、青春と言ってしまえばそれまでの、どこか颯爽としたさわがしさがある。
 減りに減った友人は、いまも最後までのこった一人のまま、回復していない。響はそれでいいと思っている。忘れたふりをしているだけで、ほんとうに忘れてしまったわけではないのだ、響も、彼女たちも。
 あとたったの一年だ。一年経てば、響はいま通っている学区からは遠く離れた高校に進学する。未来がゆく学校へ響もゆくのである。進学先のリディアン音楽女学院はすこぶる響に都合がよい。学生寮があること、学費が安いこと、試験レベルはそれほど高くないこと、それから風鳴翼が通っていること、そんなところが、よい。
 なにより、未来がリディアンを進学先に決めたことが、響にその進路を選ばせた。寮に入れば家族と離れて暮らすことになるが、地元にのこって未来と離れるよりはずっとよい。未来とはひとときも離れがたく、家族とはなんとなく距離を置きたい。響の素直な心情としてはそうなる。そうした自分の感情のねじれが、響にはたまらなくいやだった。もっとすっきりしたきれいな心身でリディアンにゆきたい。これも正直な気持ちである。
 ふたりはついに無言のまま、響の家の前まで着いた。登下校を未来とふたりきりで歩く。なにもない、このかけがえのない時間を響は好きである。したがって言葉がないことに苦痛はなかった。「それじゃ、また、あした」どちらともなく、そう言って、笑って、それをくりかえして、それだけをくりかえして、気がつけば卒業式をむかえているといい、と響は思った。
 未来のうしろ姿を見送ってから、自分の家を見あげた。中傷ビラは貼られおらず、スプレーのラクガキはなく、窓も割れていない。修繕されてもとどおりになった、こぎれいな一戸建ての住宅である。
 玄関の前に立った響は深呼吸した。戸をあけるのに勇気がいるからだ。自分の家なのに、どうしてそんな勇気がいるのか。たぶん問うても答えはでない。だから、なぜ、とか、どうして、とか、響はなるべく考えないことにした。むりやりだした解答はきっとろくでもないものになる。この問題は、いつかちゃんと解いて、そして提出する。提出期限なんてものはないのだから、いつだってかまわないはずだ。
「ただいま」
 響は戸口を引いた。

 家に入るや、足早で階段を駆けあがり、二階の自室に入った。
 かばんを置き、部屋着に着替え、制服をハンガーにかけた。この制服はいとこのお姉さんのおさがりだ。自分の制服は丈には問題なかったが、他のいろいろな不都合のために着られなくなったので、二年の途中に母が頼んで譲ってもらったのである。
 もともと制服というのはそうとう頑丈に作られているものだから、暴風がやんで傷むことのなくなったいまであれば、なにごともなく卒業式を迎えられるだろう。ふっと息を吐いた響は、なんとなしに制服をなでたあと、スカーフのむきをととのえた。
 ――音楽を聞こう。
 と思ったのは、心のざわめきを静めるためで、これまで欠かさずやってきたことだった。未来と一緒にいるときと、音楽を聞いているときだけは、心のざわめきがおとなしくなってくれる。
 机に置いてあるポータブルのCDプレイヤーを手にとり、ベッドにとびこんで、あおむけに寝転がった。CDは入れっぱなしにしているはすだが、念のためにカバーをひらいて確認した。
 響はにっこりした。CDにラベリングされている名前をみるだけで、なんとなく明るい気分になれる。われながら単純だと思うが、単純であるためにこの喜びを得られるのなら単純なままでもかまわない。思考に複雑性をもたせると気苦労が増える。それがいまの響にはすこしうとましい。
 カバーをとじて再生ボタンを押す。ここ最近はおなじ曲しか聴いていない。風鳴翼の新譜である。ヘッドホンをつけて目をつむった。
 音楽が聞こえる。頭の裏のほうで重く厚く響く、ヘッドホン特有のこの感覚が、響は好きだった。
 響は中学に入るまで音楽にはまったく興味がなかった。一年の冬に未来に誘われていったツヴァイウィングのライブを見て、すべてが一変した。音楽が好きになった、というほどでもないが、すくなくともツヴァイウィングと、そのライブのあとほどなくソロ活動を開始した風鳴翼の歌は好きでたまらなくなった。テレビやラジオで他の歌手のさまざまな歌を聞いても、翼の歌声ほど惹かれるものを感じないのは、やはりライブ会場で聞いた生の歌の、あのなにものにもかえがたい感動を知っているからだろう。
 ツヴァイウィングを教えてくれた未来には感謝してもしきれない。何度でもありがとうと言いたい。心の底からそう思い、じっさい何度も言った。が、あるとき、おなじように、ありがとう、と言うと、彼女はちょっと傷ついたようにまぶたをゆらして、それからむりやりな笑顔をつくった。それをみた響はなにも言えなくなった。
 最初は全然そんなことなかった。響が頼めばうれしそうにCDを貸してくれたし、雑誌のスクラップなども見せてくれた。なのに、突然そうなった。CDもライブDVDもそれからグッズも、いままで買い集めたものを全部響にくれた。返さなくていいと言われた。それは、処分した、ということかもしれず、とにかく未来はツヴァイウィングを自分から遠ざけた。
 原因はわかっている。ライブにいったせいで響が酷い目にあったからだからだ。ノイズに襲われて、死にかけて、死ぬ気でリハビリにはげんで、退院して、そこまではよかったが、退院してからさらに酷いことになった。理不尽な糾弾にさらされ、平穏な日常はねこそぎ奪われた。
 ライブにいってすべてが一変した。明は暗に、暗は明に、正は邪に、邪は正に、幸福は不幸になった。響をかばった未来も同じ白眼にさらされた。未来はツヴァイウィングのファンであることに苦痛を感じるようになったのだろう。
 だからと言って、ライブにいくんじゃなかった、と響は思いたくはない。たしかに、未来がいけないとわかったときに帰っていれば、自分も未来もこんな目にあわずにすんだかもしれない。
 ――でも。
 響は胸に手をあてた。とくん、とくん、と心臓がうごいている。この心臓はあの日の高鳴りを憶えている。熱い鼓動を知っている。あの感動を暗い記憶のなかに閉じ込めるのは死んでもごめんだ。

 響はゆっくりと目をひらいた。歌ではない声がヘッドホンのそとから聞こえた。母か祖母が呼んでいるらしい。ほかに響を呼ぶ人間は家にいない。たぶん、昼食ができたのだろう。
 体を起こしてヘッドホンをはずすと、今度は足音が聞こえてきた。階段をのぼりながら、響の名を呼んでいるのは、母の声だった。
「いま、いく」
 と響が大きな声で言うと、足音は遠ざかっていった。
 追いかけるように部屋を出た。
「あ、オムライス――」
 一階におりると、目よりさきに鼻でわかった。台所に入ってテーブルに目をやると、はたしてそのとおりだった。
「部屋で食べる?」
「ううん、居間で食べる」
 食器棚からコップを取り出し、ほうじ茶を淹れて、皿とコップを盆にのせ、居間にはこんだ。
 祖母がいる。テレビを見ている。
「おばあちゃんは、もうごはんは食べたの」
 響が訊くと、祖母はテレビから目を離して、ゆっくりとうなずいた。母のほうはまだである。自分のごはんはこれから作るのだろう。夕食時と違って昼はとる時間が微妙にばらける。ただ、食事の時間はばらばらでも、この時間帯はおなじ部屋で一緒に過ごしている。家の慣習なのか、なんとなくそうなっていた。(それでも母親ああやっていちいち響に確認をとるのは、気づかっているのだろう。じっさい、部屋でひとりで食事をとるほうがお互い気が楽かもしれないと、響も考えることがある)
「ニュースばっかりだね」
 たいくつ、というつもりで言ったが、チャンネルを替えて、ニュース番組以外の番組が映ったとしても、やはり響にはたいくつだったろう。ドラマもバラエティも、昼にやっているものは響の趣味にあわないものが多い。
 オムライスを食べおわるころに母が居間に入ってきた。
 母が食べおわるまで響は居間でくつろいだ。
 家族の会話はない。話し声はテレビからしかしない。そういう時間を過ごした。
 芸能ニュースで風鳴翼がとりあげられたので、響の目は一瞬でテレビにくぎづけになった。そのあいだに母が響の分の食器までかたづけてしまった。
 ライブの生存者のなかで彼女は別格の扱いだ。悲劇の歌姫、いまではそう呼ばれることはすくなくなったが、当時はさかんにもちあげられていた。悲劇の歌姫で、奇跡の生還者で、惨劇の後遺症に苦しむひとたちの希望だった。彼女の歌と、歌うことをやめない精神の在り方は、響にとっても希望そのものだったし、憧れでもあった。
 けれど「奇跡の生還者」だけは違う、と響は思う。あのひとはたぶん戦士だ。特異災害ノイズと戦う戦士なのだと思う。パートナーの天羽奏とともに、武器を振るって、ノイズをやっつけて、大勢の観客を逃がして、自身も生きのこったのだ。それを響は自分の目で見た。ノイズが一掃された会場で息絶える奏と、それを抱いて泣き叫ぶ翼の姿も、意識をうしないつつあるなかで響はたしかに見たのだった。
 翼が響の命の恩人であることを知っているのは、彼女のファンのなかでも響だけだろう。なにせ親友の未来にさえ、ツヴァイウィングのふたりに救出されたことを話していないのだから、ほかのだれも知りようがない。未来の認識では、翼の歌に勇気づけられてつらいリハビリを乗り越えられた、とか、そんな感じの恩人である。それも事実のひとつではあった。
 部屋にもどって、またヘッドホンをつけた。ベッドにあおむけになって、CDプレイヤーを再生させる。
 ソロアーティストになってからの翼の歌は、力強くて、優しくて、切なげである。それは、かなしみを背負うことをやめないひとの心そのものだった。ようするに彼女は逃げなかった。あらゆることから逃げず、風鳴翼でありつづけている。
 だからわたしも逃げない、と言いきることはできないが、翼の歌を聞きながら、歌手ではない翼のべつの姿を思い出すたび、困難に立ち向かう勇気をわけてもらったような気になった。その勇気で、つらいリハビリを乗り越えた。退院後の困難も、未来に助けられながら乗り越えた。乗り越えた、と自信をもって響は言いたかった。
 だが、現実はそう、うまくはいかなかった。困難は越えがたく、四苦八苦しているうちに、あるときにわかに響のもとから消え去った。
 そのさまをなんと表現すればよいのか。飽きっぽい大衆の正義感が、響の相手をするのにも飽きて、離れていった。いまのところはそうとしか言いようがない。
 結果として響の日常には静穏がもどったが、響の心は濃い霧がかかったみたいに晴れてくれない。日をおうごとにその霧が濃くなっているような気がしてならなかった。
 とにかく、このままリディアンへゆくことはできないと思っているのは響だけでなく、未来もそうで、中学最後の一年がはじまった瞬間から、ふたりは深い霧のなかに踏み出したと言ってよい。
 十時ごろになると、その未来から電話がかかってきた。携帯電話を持つ手を右に左に替えつつ、響はいつものように日報をあげた。夕飯のおかずや、見たテレビの内容、風呂で歌った鼻歌の選曲まで、どうでもいいこともあまさず未来に話すことになっている。こういうことを毎晩欠かさずやりつづけて、気がつけば一年近く経っていた。それはそのまま響の空元気がそれだけのあいだ継続されたというあかしでもあった。
 日報がおわると世間話に移行する。近所の犬の話、進路の話、親戚の結婚話、明日や来月や来年の話をする。今日より以前の話はあまりしなかった。十一時をすぎたあたりで会話は打ち切られる。
 じゃあそろそろ、と最初に言いだすのはいつも未来で、自分から言ったことのない響は、うそ寒い感覚に身をちぢませながら、そうだね、とかえすしかない。
「おやすみ、響」
 未来の声がやわらかく耳をたたく。そのときだけは響は寒々しさから解放された。が、
「うん、おやすみ、未来」
 通話が切れると、どうしようもない虚しさにおそわれた。
 ――早くあしたになればいい。
 孤独をかかえて眠りにつく、響は夢を見ない。

 ――駄目だなあ、と思うのだ。
 スニーカーの紐がほどけていたので、框に腰をおろして結びなおした。そのあと立ち上がろうとした膝がかすかにふるえた。もうなにもないのだ。学校に行ってもなにも起こらない。それがわかっているのに、体はこんなありさまだ。嘆きと気合、ふたつをないまぜにした息を吐いたあと、ぐっと力をこめて立った。それから「いってきます」と母と祖母に言い、家を出る。
 門扉の前にはすでに未来がいて、響が出てくるのを待っていた。
 なにもない通学路をふたりならんで歩く。
「きょうは、調子、どう」
 朝一番の未来の口から出るのはいつもそんなことだ。響の返事もいつもとおなじで、
「うん。へいき、へっちゃら」
 と答える。心のなかで、たぶん、と付け加えた。ふうと溜息が耳に入ってくる。これは怒っているな、と響はすぐにわかった。
「へっちゃらなひとは」
 未来は言うと、響の鼻をつまんで、むりやり自分のほうに顔をむかせて、
「そんな顔しない」
 と言葉にするどさをもたせて言った。
「うん、そうだね」
 自分がいましている表情というのは、なんとなくわかるものである。きっと、ひどくうす暗い顔をしているにちがいない。どうしてだろうか。どうしたって、そうなってしまう。未来と一緒にいる時間はうれしくてたのしいもののはずなのに、顔はそうなってくれない。
 鼻を解放された響は、鼻っ柱をさすりながら、
「なんか言うこときいてくれなくて」
 といいわけした。
「だれがきいてくれないの」
「顔。元気なときは元気って顔してくれないと困るんだけど……ううん」
 首をぐるぐる回して、つと空を見あげる。雲が多くて青さの欠ける空があった。ただし、明るい空である。この明るさに染まってゆく心の彩りに表情がこたえてくれない。
 ――その明るいのは全部まっかなうそだよ。
 そう言いっているのかもしれない。
「元気なのは元気、ほんとに」
 この言葉はうそではない、と響は思いたい。体調はすこぶるよいし気分も沈んではいない。むしろ浮上しているくらいなのだから、元気でないはずがないのである。それとも元気と平気は違うものなのだろうか。
「は――」
 空に向かってみじかく息を吐いた。なんとなく重さのある息で、吐いてすぐに響の鼻先に落ちてきた。
 なるほど、へいきなひとはこんな息は吐かない。ぽっかりとあいた口が苦みをにじませてゆがんだ。
 足どりもなんとなく重かった。重い足を交互にうごかして一歩また一歩と学校に近づいていく。重かろうが軽かろうが、どのみちおなじことだ。どんな息を吐いてもどんな歩き方をしても、そこだけは変わらない。
 校門が近い。
 響はまた息を吐いた。校舎が視界におさまりきらない距離まで近くなると、いつも足のふくらはぎから背にかけて疼痛のようなものが発生する。それを追い払うためにそういうことをしているのである。疼痛の原因はわかっているつもりだが、あまりみとめたくないものでもある。
 ――なにもない。なんにもない。
 そう自分に言い聞かせる。
 正門をくぐる直前に未来に手を握られたのは、響の心の反映にほかならなかっただろう。
 教室にはまだクラスメイトは五、六人ほどしか来ていなかった。その少ないクラスメイトたちは響が戸をひらいたときにだけ視線をこちらにむけると、すぐに興味をなくしたとみえて、それぞれの会話や自習にもどっていった。
 自分の机のまえにたった響はすこし以外なおももちで、机の表面を指で撫でた。
「そんなにきれいでもないね」
 昨日席についたときはずいぶんときれいで真新しい机のように思えたが、一日経ってあらためてみると、どう見てもこの机は新品でなく多くの生徒に使い古されたもので、傷もあれば汚れもあったし、彫刻刀で彫ったらしき文字もあった。
 机のよこに鞄をひっかけ、席についた。未来の席のはそのすぐとなりで、席順はこれという指図にしたがったのでもなく、きのう最初に教室にはいったとき、たまたま鞄を置いた席がそのまま自分の席になった。中学の三年ともなると、席決めの塩梅などこんなものなのだろう。
 机のすみにかすれたマジックインキの文字を見つけた。卒業生が消しわすれたのか、消しそこなったのか、きのうは気づかなかった、これは相合い傘だ。傘の上部にハートマークがあって、ふたつの姓が持ち手の左右に書かれている。女の子の文字だと思う。左の姓の下に「くん」とあるから、書いたのは右の姓の女の子だろう。想い人の姓だけが極端なほどかすれて読みづらかった。
 担任教諭が教室にはいってきた。
 その顔をみたとき、響は、今日からほんとうに最後の一年がはじまるのだと思った。

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