川島さんとだれかさんたち

 未成年を成人だらけの飲み会に参加させる。あまつさえ酔っ払いの介護をさせ、家まで送り届けさせる。近頃打ち上げとなればそれが当たり前の光景になっていた。
 この異常性に今まで誰もなんの疑問も抱かなかったのは全く常識の欠如した情けない話で、15歳の子供の苦悩を目の当たりにしてようやく気づくあたり、本当に救いがない。と、川島瑞樹は大いに自分を責めた。自分というか自分たちというか楓というか、いや楓ひとりが悪いわけじゃなくて「じゃあ美波ちゃんその酔っ払いよろしくねー」なんて任せきっていた自分たちも同罪だ。

 アナスタシアという娘が事務所でひとりでいるところを、瑞樹はあまり見たことがない。日本語に不慣れな彼女はたいてい美波と一緒にいて、誰かとの会話も彼女の助けをうけていた。
 だからアナスタシアがひとりで瑞樹の前に現れ、相談事があると持ちかけたときは、思わず「美波ちゃんはどうしたの?」と聞いてしまったわけだけれど、アナスタシアは視線もそぞろにもごもごと口を動かしながら「そのミナミのことで、相談したい、です」と言った。その瞬間なんとなく悟ってしまった。相談内容の半分くらいを。
「あー……」
 間抜けな声を発して、しばらく苦笑いして、視線を泳がせたりして、とりあえず不安な表情を浮かべるアナスタシアの肩をぽんぽんと優しくたたいて、
「近くの喫茶店でいいかしら」
 などと事務所の外に誘い出した。ちょうど暇が空いたところだったし、この問題にまたあとでと時間を置くのは、なにかまずい気がした。そんな直感が働いたのだ。

 ――ミナミ、よく、先輩たちの打ち上げに出ますね。ミナミはスピールトお酒はまだ飲めませんよね。でも、打ち上げの次の日は、ミナミいつも調子悪いです。顔色悪いです。レッスン、のときも、動き方変です。でも、大丈夫ですか、なにかありましたか、って聞いてもミナミ、教えてくれないです。ミナミは悪いこと、してるんですか。もしかして、お酒飲んでいる、ですか。

 お酒の匂いが強いから場酔いしたのかもね、なんて誤魔化せることじゃなかった。それだとしても、結局飲み会に付き合わせている瑞樹たちの罪は免れない。どのみち美波のレッスンや仕事に影響が出ているのだ。パートナーであるアナスタシアの目に見える形で。
 テーブルの上に指を揃え、頭を付けて、瑞樹は謝罪した。
「あのほんとにごめんなさい。ごめん、あのごめんねアーニャちゃん。まことにもうしわけございません。二度とこんなことがないように、気をつける……じゃなかったもう、金輪際飲み会に美波ちゃんを連れ出したりしません」
 こう言って瑞樹は謝り倒した。謝って済むことではないが謝らなければならないことなので謝った。
 昼下がりの喫茶店。周りの客と店員のざわめきが耳に入る。
 瑞樹に相談を持ちかけたアナスタシアは困惑を目に浮かべ、手をこまねいている。
「アー、ニェト……、いえ、こっちこそイズヴィニーチェごめんなさい……こんなこと相談して、あの、ミナミは、お酒は――」
「誓って、飲んでいません。だいじょうぶ、あの子はとてもよい子よ。それに、言い訳にしかならないけど、さすがに私たちも未成年に飲酒を強いたりしていないから……いや、だったらそもそも飲み会に誘うなって話よね、ほんとごめんなさい」
 頭を起こして、髪を掻き上げる。やるまいやるまいと思っているのにどうしても誤魔化すように苦笑いをしてしまう。ああ、なんて駄目な大人。子供の手本でなければならないのに。
 今更手遅れかもしれないけれど、アナスタシアの手を握って、きりりと表情を引き締めた。
「約束するわ。美波ちゃんとアーニャちゃんを困らせるようなことはもう絶対にしない」
 握る手に力を込めると、アナスタシアは痛そうに頬を歪ませながら「パニラー」とだけ言った。さすがにスパシーバは言ってもらえなかった。
(パニラーってわかりました、でいいのよね? たぶん、ダー)

 とりあえずラインでいつもの飲み会メンバーに新田美波お誘い禁止令を出す。次にメールで同じ内容を送る。最後に電話をして念入りに言う。それからまたワンモア高垣楓に声をかけて直接、彼女にだけはアナスタシアの相談事の内容も含めて全て伝えた上で、飲み会に未成年は連れて行かない、と誓わせる。
 一瞬左右色違いの目がどろりと鈍く光ったあと、にこやかな笑みと寒いダジャレとともに、楓は「わかりました」のサインを出した。

 それからあった最初の飲み会に新田美波の姿はなかった。禁止令が滞りなく実施されていることに瑞樹はひとつの満足を覚えた。
 不服そうな顔で至ってつまらなそうに酒を飲む楓を横目に酒をあおる。うまい。
「そんな顔しないの。私が面倒見てあげるから、ね」
 ジョッキを置いて、ぽんぽんと楓の肩を叩く。
 色違いの綺麗な翠と蒼の目が瑞樹の知らないところでまた一瞬どろりと底光りして、
「ふふ、あははは」
 楓は笑うとゆらりと体を倒して瑞樹の膝に頭を乗せた。
 やれやれと言った感じで瑞樹も笑った。と、
「痛ッ」
 太腿に痛みが走った。楓に太腿をつねられたのだ。むっとした瑞樹は楓の頭をはたいて彼女の顔をこちらに向けさせた。楓を睨み落とすと、楓は楓で、こっちを睨んでいた。綺麗な目が濁りきって汚い目になっていて、その目が瑞樹を射るように見た。
「どういうつもり?」
 そんな声がほとんど同時に降りて昇って酔った頭にするりと入り込んでくる。
 瑞樹は白けたが、楓も白けた。それからその一部始終を見ていた周りも白けたことだろう。全く気分の悪い飲み会になってしまった。どういうつもりとはの場にいた全員が思ったことだったかもしれない。
 それでも瑞樹は楓の面倒を見るという約束はちゃんと守った。タクシー使ったけど。さすがに歩いて帰るのは無理だし。自分も酔ってるし。
 千鳥足の楓をマンションまで運んでベッドに放り投げて自分はソファに寝た。帰るわけにはいかなかった。帰ればそれと入れ替わりに楓の部屋に入ってくる未成年の後輩がいるからだ。
 彼女はきっと楓に逆らわない。呼べば必ずやって来るのだ。そこが飲み屋だろうが楓の部屋だろうが。

 数ヶ月ほど経つと高垣楓と川島瑞樹がデキているという不本意な噂が事務所内に広がったが、同時に飲み会の翌日になると新田美波が体調不良になるなどという不可解な事件もなくなった。
 実際瑞樹と楓のあいだにはなにもないし噂とかどうでもいいしアナスタシアという幼き魂の平穏は保たれたし、瑞樹はまた満足した。

 ……けれどもその満足は長く続かなかった。

 ある夜いつものように楓の部屋のソファで眠っていると、ガチャリと玄関のドアが開く音がして瑞樹はハッと目を覚ました。
 猛烈にいやな予感がした。侵入者の正体を泥棒かと疑うよりも先に頭に浮かんだものがあった。
 勢い瑞樹は重い体を起こして立ち上がった。暗がりの向こうに、ああ、やっぱり。美波ちゃんがいるじゃない。どうやって鍵を開けたかなんて考える必要もなかった。
 びくりと肩を震わせる美波に背を向けて瑞樹は寝室に行った。酩酊して眠りこけていたはずの楓はばっちり起きていた。にこにこと笑いながらその赤らんだ頬に手を添えて、あらあら、起きちゃったのね、困ったわ、なんて言って。
「あなたは――」
「美波ちゃん、おいで」
 それから楓は、もはやこの空間に自分と美波しかいないような顔で寝室の入口に置かれた一個の物体の後ろに立つ後輩を手招いた。

[このページの先頭に戻る] [シンデレラガールズSSのTOPに戻る] [サイトのTOPに戻る]