武取らない物語

 今は昔の話です。あるところに武内のPというものがいました。竹林に入って少女をスカウトしつつ、芸能のことに使っていました。名をばプロデューサーと言いました。
 その竹の中に一筋の蒼の光がありました。怪しんだ武内Pが近づくと、竹の中が蒼く光っていました。見ればてのひらサイズのつんとお澄まし顔の女の子がいました。武内P言うや、「アイドルに興味はありませんか」と。武内Pは背広のぽけっとに入れて女の子を家に持って帰りました。
 びっくりしたのは川での洗濯ものから帰ってきていた妻の千川さんです。
「まあ、そのぽっけにある女の子は、どちらさまで?……どういうことで?……無許可で?……彼女の意思で?」
「スカウトしました」
「アイドルになりたいとか言ってないんだけど」ぽけっとの女の子は言いました。
「こんな小さな子を竹林の奥に放っておくわけにもいかなかったですし……」
「あそこに住んでるんだけど」
「小さいですね、ええ、小さいです、なんていうか、小さいですね……」
 千川さんはずっとびっくりしています。びっくりが全然おさまりません。小さな女の子は一寸法師のように小さいです。少女的な女童的な小ささではありません。びっくりです。よく見ると目鼻立ちがくっきりときれいで、足はむっちり、よいスタイルです。この体型のまま高校生の平均身長くらいになれば、よいアイドルになるのではないかと思いましたが、けれど武内Pの理想がパワーオブスマイルであることを知っている千川さんにはそこがすこし疑問でした。なにせこの女の子はさっきからちっとも笑いませんでしたから。
 疑問といえば武内Pにもありました。千川さんがだっこしている赤ん坊のことです。これも女の子です。この夫婦の子はふたりいましたがどちらもすでに独立していて、ひとりは宮仕えの魔法使いに、もうひとりはBAR「こいかぜ」のママになっています。
「その桃のような女の子はどうされたのですか」
 千川さんは「笑顔がきらきらとしてとても素敵だったので、連れて帰ってきました。あなたなら、きっとスカウトするだろうと思ったので」と言います。
 武内Pはじいっとその赤ん坊を見つめました。最初は武内Pのおっかない顔面におびえていた赤ん坊はそのうち慣れたのか、千川さんのいうとおりきらきらとすてきな笑顔でかがやきはじめました。桃のようなほっぺのかわいらしい女の子でした。
 それから桃のような女の子とてのひらサイズの女の子は武内Pと千川さんのおうちで育てられることになりました。
 桃のような女の子は島村卯月といい、てのひらサイズの女の子は渋谷凛といいました。
 ふたりのちいさな女の子は武内Pと千川さんのもとですくすくと成長していきました。
 それからいくらかの歳月が流れました。
「しぶりんはしまむーと遊んでるときはたくさん笑うね! 笑顔がたくさんある!」そう言って武内Pに近づいてきたのは未央という女の子でした。武内P家の隣に住んでいるウサミン星人の孫娘の未央ちゃんです。未央ちゃんはとても元気な女の子です。武内Pは脊髄反射的に名刺を差し出してスカウトしました。未央ちゃんをスカウトするのはこれが初めてではありませんが、いつも「みおちゃんはあーちゃんだけのアイドルだからみんなのアイドルにはなれないんだ。ごめんね!」と断われてしまうのです。
 でも武内Pは中々諦められないものですからこうやってまた名刺を差し出すのでした。
 するとこの日の未央ちゃんはいつもとようすが違って急に大人のようなむつかしい顔になって「ちょっと考えさせてね、そのまえに、やらなきゃいけないことあるんだ」と言って、おうちに帰っていきました。
「なんでしょうか、やらなければいけないこと、とは……」お節介と思いつつも武内Pは心配になりました。だってあんまりにもいつも満点スマイルの未央ちゃんらしくないしかめつらだったものですから。未央ちゃんを知っている人なら誰だってこう心配するでしょう。
 けれど。けれども。誰も知らなかったのです。未央ちゃんがやらなければならないことなんて。そして、未央ちゃんがよく口にするあーちゃん≠ェ誰なのかなんて、誰も、未央ちゃん以外の誰ひとりだって知らなかったのですから。


 あーちゃんはベッドの上で眠っています。朝も昼も夜もずーっとずーっと眠っています。森の中にある、そんなには高くない塔のてっぺんにあるうす暗い部屋のベッドで、身じろぎひとつしないで、まぶたをとじています。
 猿のような身のこなしで、未央ちゃんはあーちゃんのいる塔のてっぺんの部屋に登ります。
 未央ちゃんがこの塔に通うようになったのは最初はただの好奇心でした。森の中に遊びに入った未央ちゃんが見つけた塔。そこから聞こえた声。歌ではありませんでした。それはお芝居の声のようでした。ウサミンママに連れていってもらった演劇を未央ちゃんは思い出したのです。それでお芝居の声がおわったときに、未央ちゃんはいっぱい拍手をしました。手をたたいて「すてきだったよ」と塔のてっぺんにむかって言いました。
 そして塔の窓からひょいと恥ずかしげな真っ赤なお顔を見せたのがあーちゃんでした。
 ふしぎなことにこの塔には入口がどこにもありません。てっぺんの部屋にとりつけられた窓だけが外と中を繋ぐ唯一の四角い穴でした。ですので未央ちゃんがあーちゃんと遊ぶときはいつも塔をよじ登ってその窓から部屋に入らなくてはいけませんでした。でも未央ちゃんにとってこのくらいなんてことありません。
 あーちゃんはお芝居が好きだと言いました。お芝居を観るのが大好きなのです。ですが、この塔のてっぺんの部屋にいてはお芝居を観にいくことができません。ですのでこうやって自分でお芝居をしてせめてものなぐさめにしているのでした。それを聞いた未央ちゃんは「じゃあやろう。ふたりでお芝居やろう。そしたらもっと楽しいよ」と言って、それからふたりは一緒に遊ぶようになったのです。
 最初はてんでへたくそでした。せりふは噛み噛みの棒読み、手足はロボットみたいにカクカク動いて、てんでなっていません。あーちゃんはそんな未央ちゃんにていねいにお芝居を教えてくれました。それからどうにかこうにかふたりのお芝居が形になっていきました。
「誰かに観てもらえたらきっともっともーっと楽しいのにね」と未央ちゃんは言いました。「ねえわたしはこうやってあーちゃんの部屋に登るのはむつかしいことじゃないけれど、きっとあーちゃんを背負って降りることだって、むつかしいかもしれないけど、やってしまえばこれはできると思うんだ」未央ちゃんはあーちゃんと一緒にお外に行ってたくさんの人にお芝居を観てもらおうと思ったのです。
 あーちゃんは目にちょっぴり涙をうかべて「うん」と言って笑いました。どうして泣いているのかな。未央ちゃんは首をかしげました。うれし涙とは違う涙のような気がしました。だって笑顔がなんだかさびしそうだったから。この笑顔は未央ちゃんが塔の外の友達や家族や村のみんなのことを話しているときにたまに見せるあーちゃんの笑顔に似ていたのです。
 次の日未央ちゃんが縄と布を持って塔によじ登ると、あーちゃんは死んだみたいにベッドに横たわって眠っていました。それから全然起きてくれませんでした。何日も何日も未央ちゃんはおうちに帰らずにあーちゃんの部屋で彼女が起きるのを待ちました。眠らずに、ときどきうつらうつらしながら、いやちょっと寝ちゃったかもしれない。でもずっと起きるのを待ちました。一週間経ってついにあーちゃんが起きなかったとき未央ちゃんは持ってきた縄と布を持っておうちに帰りました。何日も家に帰らなかったものだから、孫娘を心配して夜も眠れなかったウサミンママにとても怒られましたが、未央ちゃんはひとつのいいわけもしませんでした。
 未央ちゃんが武内Pに言った「やらなければいけないこと」それはあーちゃんを起こすこと。あーちゃんの目をひらかせること。とじたまぶたを。ながいまつげを、もういちどゆらすこと。笑顔をみること。
 やり方はわかっています。昔からこんな呪いのようなできごとを解決するのは魔女の魔法と相場が決まっているのです。だから未央ちゃんは魔女のところに行きました。


「たいへんだ、未央のやつ、魔女のところに行くつもりだよ!」未央ちゃんが魔女の森に入っていくのを見た凛はあわてておうちに帰って、両親にそのことを言いました。
「どうしよう。このままじゃ、未央が悪い魔女に食べられてしまう」と凛は気が気ではありません。魔女はなんでも願いごとを叶えてくれますが、その対価として願いごとをした人を食べてしまうのです。想像するだけでもおそろしいことでした。千川さんの膝の上で話を聞いていた卯月はすでに顔を真っ青にして泣いています。それほど魔女の噂はこわいこわいものだったのです。
「わたしが連れもどしてきます。ふたりをお願いします」武内Pは千川さんに卯月と凛をあずけると、一挺の猟銃を提げて家を飛び出ました。全力疾走で魔女の森に向かいます。走りながら武内Pは考えました。本田さん、どうして魔女の森などという危険なところに行ったのですか。どうしてそのことを誰にも相談してくれなかったのでしょうか。していればきっと誰かがとめていたはずなのに、こんなばかなことは――ばかなこと? ほんとうにそうなのでしょうか。ふっと武内Pは自分が心の中で言った「ばかなこと」という言葉をやはり同じ心の中で否定しようとする自分がいることに気づきました。ばかなことであるものか! その自分は叫んでいるようでした。
 きらりと脳に浮かんだ名前がありました。「あーちゃん」です。未央ちゃんはよくあーちゃんという名前を言っていました。それが誰なのかちっとも教えてくれなくて、ただ「未央ちゃんはあーちゃんだけのアイドルだから」といつも言っていました。
 アイドルとはなんでしょうか。未央ちゃんにとってアイドルとはなにものなのでしょうか。武内Pはもはや考えませんでした。未央ちゃんの心がいまにわかにわかったのです。
 未央ちゃんはどこの事務所にも所属していないからプロのアイドルではないかもしれないけれど、でも間違いなくアイドルなのです。夢のために、誰かのために、なにかを為そうとするアイドルなのです。
 武内Pはさらにさらに全力を超えた全力で走ります。魔女の森に入り道無き道を突っ切っていきます。アイドルのために、プロデューサーである自分が、このでかい図体ができることを、せいいっぱいやるために、走るのでした。


 おそろしい魔女が暮らすという魔女の森のまんなかに、魔女の館はありました。
 大きな鉄の門の前で未央ちゃんは立ち尽くしていました。門を開く勇気が、一歩を踏み出す勇気が、なかなか出なかったのです。勇敢な未央ちゃんにもやはり魔女はとてもこわい存在でした。そしてそれが武内Pにさいわいしました。すんでのところで未央ちゃんを保護することができたのです。
「あ……プロデューサー……」くしゃくしゃのいまにも泣きそうな顔で未央ちゃんは武内Pを見上げました。武内Pはとても背が高いので見上げないと顔を見られないのです。
「ここにいては危険です。わたしが家まで送っていきますから、帰りましょう」と武内Pが言うとしかし未央ちゃんはふるふると首を振って「いけないんだ。わたしは帰れないんだ。魔女に会って、叶えてもらわなきゃいけないことがあるから」と言います。「魔女に願い事をすると叶えるかわりに食べられてしまいます。本田さんが食べられるとみんな悲しみます。本田さんのおばあちゃんも悲しみます。ですから、魔女に願いごとをしてはいけません」武内Pは未央ちゃんの震える小さな手をそっと握りました。力尽くで連れ帰ることもできたでしょうが、まず言葉で説得しなければ結局未央ちゃんは隙をみてまた魔女の森に来るでしょう。
「わたしがいなくなっても悲しむことも、どころかいなくなったことを知ることさえできない子がいるから、わたしは魔女に会わなくてはいけないんだ。わたしの願いでその子がもういちどあのきれいな目をひらいて、かわいらしい口をひらいて、すてきな声で、お芝居ができるように」未央ちゃんは強く強く言葉を紡ぎます。それがあーちゃんのことなのはあきらかでした。
 武内Pは未央ちゃんのまえにしゃがみました。そうして目線をあわせました。
まっすぐに未央ちゃんを見て、未央ちゃんにもまっすぐにこちらを見るように言って、それから武内Pは言いました。「では、わたしと一緒に行きましょう」と。
 もちろん武内Pも未央ちゃんも魔女を見るのはこれがはじめてです。いえ、いまこの村で魔女をじかに知っている人がどれくらいいるでしょうか。もう何百年ものあいだ、魔女は同じ館でひとりで暮らし続けているのです。
 だだっ広いフロアーで魔女に会った武内Pと未央ちゃんは驚きをかくせませんでした。驚きすぎて顔を見あわせ、頬をつねりあいました。だって魔女は、魔女というにはあまりにも、練り絹のような白い肌の、銀色の細くうつくしい髪の、透き通った青い瞳の、未央ちゃんと同じくらいの背格好の女の子だったのですから。
 いえ、驚くことではないのかもしれません。それは当然のことなのかもしれません。なぜなら魔女は願いを叶える代わりにそのものを食べてしまうのですから。きっと魂を食べて若さを保ち寿命をのばしているのだとしたら、この外見にも納得というものです。
 魔女は言います。「願い、ありますか。叶えます。対価、は、あなた」相手が魔女でなければ武内Pは脊髄反射で名刺を差し出していたかも知れませんが、あいにくといま手もとにあるのは一挺の猟銃だけです。未央ちゃんが願いを言い出す前に武内Pは口を開きました。「願いごとはありますが、そのまえに、お訊きしたいことがあります。契約内容に齟齬があっては困りますので……」と言って武内Pは話をきりだしました。
「ダー」魔女の返事は諾か否かわかりづらいものでしたが、武内Pは彼女がうなずいたのを見てこれは「イエス」だと判断しました。
「なぜ、人々の願いを叶えてあげるのですか。何故、願いを叶えてあげた人たちを食べるのですか」と武内Pは問いかけました。すると魔女は意外なくらいあっさりと「願いごと、叶えると、願いごとが、叶います。だから、叶えます」と言ってにっこりと笑いました。その笑顔にびっくりした未央ちゃんが質問します。「ねえ、ならさ、魔女さんの願いごとってどんなものなのかな。ずっとずっと誰かの願いごとを叶え続けているのは、まだ魔女さんの願いごとがぜんぶ叶っていないから?」
 魔女は「ダー」イエス、と答えました。笑顔のない、さびしげな顔でした。
「リュビーマヤわたしのたいせつな人、ずっと眠ったままです。悪い、悪い、魔女の魔法にかかって、眠らされて、ずっと起きてくれない。体、腐ってしまうのがいやだから、きれいなままにするには、願いごと、叶えなくちゃいけない、叶え続けるには、わたしは死んではいけなくて、そのためには、人のドゥシアー魂を食べなくちゃいけない、そういう、やくそく、です。しました」
「その約束はどなたと?」
「わたしです」魔女はそう言って笑いました。おろかものを嘲うように笑ったのです。

   *

 鏡よ鏡。魔女の鏡はふしぎの鏡。鏡の前のわたしが泣くと、鏡の中のわたしは笑う。わたしが喜びわたしは怒る。わたしは哀しみわたしが楽しむ。すべてがあべこべのふしぎな鏡。――鏡よ鏡、この世でいちばんうつくしいのはだあれ? たわむれに問うたわたしにわたしはつまらなそうに口をとがらせてこう答える。「それはわたしがいちばん知っていることでしょう?」
 あるときわたしがわたしに言った。このうつくしいたいせつな人をこの一瞬だけのものにしてはいけないと。そうして、そうして、その日うつくしいたいせつな人はうごかなくなった。命はうごきつづけているのに、まつげ一本ゆれることがなくなった。わたしがわたしにこう言った。眠った体はいつかそのまま死体になるから、きれいに保存しなくてはいけないから。だから、やくそくをしましょう。人は希望によってかがやくものだから、誰かのためになにかをしようとする、うつくしい願いをわたしのたいせつな人に捧げましょう。そうすれば彼女はずっとうつくしい姿で眠っていられる。願いを捧げ続けましょう。捧げることをやめたら彼女はすぐに腐ってしまうから。だからずっと寄り添い誰かのうつくしい願いを捧げましょう。そのためにわたしはながくながく生きなくてはいけない、だから魂を食べて身を保ちましょう。
 わたしはわたしにそう言った。
 わたしはわたしとそう約束した。

   *

 武内Pは未央ちゃんの手を引き、魔女の森を進みます。魔女と別れ、おうちに帰るために歩いています。顔を真っ赤にして怒っている未央ちゃんは、ややもすると武内Pの前をずんずん歩いて森の道無き道に消えてしまいそうだったので、武内Pはけっして未央ちゃんの手を離さないよう、そして見失わないように、慎重に、ゆっくりと、歩きました。
 未央ちゃんは怒っています。魔女のかってなありさまにすごくすごく腹を立てたのです。一分一厘くらいはやつあたり的なところがあったことはいなめませんが、やっぱり魔女の言い分に怒っていました。どうしたことか眠ったまま起きないあーちゃんを起こしたくて魔女に願いを叶えてもらおうとしたのに、そのためなら魔女に食べられるのだって、こわいけれど、こわくない、それくらいの気持ちで、自分なりに「かくご」をしていたのに、その願いもこの魂も魔女のみがってな愛情のために使われることを知ってしまったのです。腹立たしいといったらありません。
 ぷんぷんしている未央ちゃんが暴走しないようにそれとなく見守っている武内Pはふと思い至ったことがあって「あーちゃんは、どうして突然眠ってしまったのでしょうか」と言いました。「わかんない」未央ちゃんは言います。「なんでだろう。前の日までちゃんと起きてたのに、次の日いったら眠ってて、いくら待ってもぜんぜん起きてくれなくて」未央ちゃんはぷんぷんの怒り顔から、だんだん泣き顔になっていきました。しまったと武内Pは自分の迂闊さに気づきました。「なんで」と未央ちゃんは言います。なんで、なんで、どうして、どうして。繰り返します。それはあーちゃんのことでもあり、魔女のことでもありました。大好きなあーちゃんが眠ったまま目を覚まさないことはこんなにもかなしいのに、あの魔女はどうして平気でいられるんだろう。眠ったままのうつくしいたいせつな人を永遠にうつくしくいさせるために、眠らせて、ずっと眠ったままで、それに寄り添って。でも、それってかなしくないのかな。目をあけてこっちを見てほしいって思わないのかな。口をあけて名前を呼んでほしいって思わないのかな。ねえ、どうしてだと思う。未央ちゃんは言います。
 武内Pは答えられませんでした。答えられないかわりに、ぎゅっと自分の手を握るちいさなやわらかい手を、やはりぎゅっと握りかえしました。
 未央ちゃんのおうちにつくと、ウサミンママが走ってきて未央ちゃんを抱きしめました。泣きながら未央ちゃんを叱り、叱りながら泣き、泣きながら笑いました。よかった、よかった、と言って笑いました。ありがとうございます、ありがとうございます、ウサミンママは武内Pに言います。
 武内Pはぺこりとかるく頭をさげたあと、未央ちゃんに言いました。「一緒にさがしませんか。あーちゃんさんにおはようを言う方法を。きっと、べつのなにかがあると思います。根拠と言えるものはありませんが、人が理由もなくずっと眠り続けるなんてことは、ふつうないと思うので、まずはそこから、さがしませんか」
「ありがとう、うん。さがす。一緒にさがして、お願い」ウサミンママから解放された未央ちゃんが鼻をすすりながら言いました。このお願いに対価は必要ありませんから、未央ちゃんは持ち前の笑顔で言ったのでした。


「眠り姫は、王子さまのキスで目を覚ますんですよ」
「嘘だよ、起きたことないじゃん、卯月」
「へ?」
「ないよ、いっかいも」
 おかしなことをくちばしる女の子たちを無視して、塔の部屋であーちゃんの体の検分がはじまりました。あーちゃんから掛け布団がとりあげられ、服のボタンにBARこいかぜのママの手がかかりました。武内Pはずっと窓の外を見ています。他のところを見る権利は彼にはありませんでした。なぜなら彼は男性だからです。やましい気持ちがあるとかないとかこの場合全然関係のないことでした。アイマスク着用を命ぜられなかったのはなけなしの人権でした。
 楓ママはすっかり裸になったあーちゃんの体を髪の毛一本見逃さずたんねんに調べます。そして数分程度の検分を終えると「これは魔女の呪いね」そう断定しました。
「魔女……? 魔女って、あの森の魔女!?」未央ちゃんがびっくりして、あるいはまた怒りをこめて叫びます。けれど楓ママはにこにこと笑いながら首を振って「違いますよ」と言いました。「あのかわいい魔女さんの魔法はね、呪いなんてものではないの。魔女の呪いにはかならず怨みがあるものだけれど、あの子はけっして呪わないから」という説明は卯月や凛にはちんぷんかんぷんでしたが、未央ちゃんはなんとなくわかったという顔をしました。あの日森の魔女に聞かされた話を思い出して、たしかにそうかもしれないと思ったのです。
 それから武内Pを塔の下に降ろしてから、楓ママと未央ちゃんたちはあーちゃんの体を洗いました。濡れタオルで、肌が傷つかないように、ていねいにていねいに拭って、おぐしをきれいにして、ベッドのシーツもとりかえて、ゆったりとした服装に着替えさせて、またベッドに寝かせました。
 けっこう頻繁にはげしく体をうごかしましたが当のあーちゃんはやっぱり起きません。
 これが魔女の呪いだというなら、魔女はどこにいるのだろう。未央ちゃんは考えました。魔女に頼んで呪いを解いてもらおうか。でも魔女の呪いには怨みがあると楓ママは言っていました。だとすると怨みを晴らしたと感じるまで魔女は呪いを絶対に解かないかもしれません。でも、そもそもどうしてあーちゃんが怨まれ呪われる? あんなにいいこなのに。あんなにやさしいこなのに。それにこんな塔でひとりぼっちで暮らしているのにと。いったいわたし以外の誰と会って、そうして誰の怨みを買ったというんだろう。未央ちゃんにはさっぱりわかりませんでした。
 夕暮れの光が部屋に差し込みます。塔の下から「みなさん、そろそろ――」と武内Pの声がしました。
「ちょっと待っててね。すぐ降りるから、みんなはさきに降りててね」未央ちゃんはそう言って、ベッドの横に座りこみました。眠ったままなにも言わないあーちゃんと、ひさしぶりにすこしお話がしたくなったのです。
 それから自分とあーちゃんしかいなくなった部屋で、未央ちゃんは卯月が夢見がちな甘ったるい声で言っていた、あれをやってみようと思ったのでした。つまりキスです。もちろん未央ちゃんは王子さまではありません。ウサミン星公女の孫といってもべつに未央ちゃんが貴族なのではありません。未央ちゃんはただのみしろ村の村娘です。
 それでも方法がひとつでもあるならやってみよう、それが未央ちゃんの「かくご」でした。あーちゃんの閉じた唇に未央ちゃんは自分の唇を近づけました。そうしてほんのすこしだけ押しつぶすと「さびしいよ、あーちゃん」そう言うやすぐに唇をはなしました。あーちゃんは目を覚ましませんでした。「わたしが王子さまだったら、起きてくれたのかな、ねえ、あーちゃん」眠り姫あーちゃんにそう言いのこすと未央ちゃんは塔を降りようと窓に手をかけました。そのときです。――
「未央ちゃん、どうしてお帰りになるの。せっかくわたしは起きたところなのに」かわいらしいやさしい声が未央ちゃんの背中にかかってきたのです。
「あーちゃん! あーちゃん!」未央ちゃんはすぐにもかけよってあーちゃんを抱きしめました。あーちゃん! あーちゃん! と何度も名前を呼びます。するとあーちゃんも「未央ちゃん、未央ちゃん」とこれまた何度も名前を呼んでかえしました。
「ずいぶんとたくさん眠っていた気がするわ。いったいどれくらい眠っていたのかしら」あーちゃんは寝ぼけまなこで言って首をかしげます。未央ちゃんは涙をぬぐって鼻をすするとにっこりと笑って「きのう一〇時くらいに眠ったとしたら、いまは夕方だから、あーちゃん、きみときたらざっと二〇時間ほどは眠っていたんだよ」それから、
「おはよう、やさしいいとしの眠り姫」と言いました。
「おはよう、泣き虫なわたしの王子さま」あーちゃんもそう言いました。


 夜のことです。BARこいかぜのカウンター席で魔法使いの瑞樹お姉さんが妹の楓ママに笑いかけました。「楓ちゃん、ねえ、楓ちゃん」
「王子さまのキスで眠り姫さまが目を覚ましたというけれど、ほんとうはもうお姫さまは眠りから覚めていて、おはようと言うために、王子さまのキスを待っていただけではないかしら」
「あらあら、やぼったいことを言うのね。未央ちゃんがキスをしたからあーちゃんは目を覚ました。これがほんとうの、ほんとう。だって本人たちがそう言っているのだから、これほど確かなことはありませんよ」
「そうかしら、でもそうしておくほうがいいのでしょうね。だって彼女たちはいま幸せなのでしょうから」瑞樹お姉さんはなかばひとりごとのように言ってグラスをかたむけます。「楓ちゃん、ねえ、楓ちゃん、けれどわたしは部外者だから、ちょっとは教えてくれてもいいんじゃないかしら?」
「あら、わたしはなにを教えればいいのかしら」
「楓ちゃんときたら、魔法使いのわたしよりも魔法がお上手だから、あーちゃんのお体を検分≠オたというのは、もうそのときには呪いをとりのぞいてしまっていたのではないかしら?」
「そうかしら、どうかしら。それがいいなら、そう思うのも悪くないかもしれないですね」けれども、と楓ママは唇に人さし指を立ると、おだやかなまなざしで瑞樹お姉さんを見つめ、こう言いました。――それは誰にも内緒でお願いしますね?

   *

 人攫いの魔女は言いました。生きてふたたび外の世界を見たいなどと、そんな欲を持ってはいけないよ。欲を持ったが最後、おまえの体はこてりと倒れてもうずっと死んだみたいに眠っているしかないのだからね。
 塔のてっぺんの部屋に閉じ込められた女の子は、だから欲を持たないようにがんばりました。女の子はお芝居が好きでしたが、この部屋の中ではそれを見ることはできません。さいわい部屋には本棚があってたくさんの物語の本があったので、女の子はそれを読み上げて、自分でお芝居をしました。けれども魔女の言いつけどおり、外に行きたいと思うことはけっしてしませんでした。お芝居を観にいきたいと一度だって思ってしまえば自分はたちまち死んだように眠り続けるほかないのです。そうなってしまったら、お芝居を観るだけでなくて、自分でお芝居することさえできなくなるのですから。
 百年近くものあいだ女の子は塔のてっぺんの部屋でひとりで暮らしていました。人攫いの魔女はときどき帰ってきては同じことを言います。生きてふたたび外の世界を見たいなどと、そんな欲を持ってはいけないよ。そう呪いの言葉をかけて、また外の世界へ出かけては、ずうっと帰ってこないのです。
 いつのことだったでしょうか。晴れた日のことだったのはおぼえています。だって雨が降っていてはきっと雨音にまぎれて自分のお芝居の声は外には聞こえなかったでしょうから。
「すてきだったよ」塔の下から拍手と一緒に聞こえてきたのです。たったひとりの、はじめての観客でした。
 欲を持ってはいけないよ。人攫いの魔女は言います。生きてふたたび外の世界を見たいなどと欲を持ったが最後、おまえはたちまち死んだように眠り続けるしかないのだからね。そう呪いの言葉をかけて塔から出ていきます。
 塔の下の女の子はひょいひょいと身も軽く塔を登ってくるとこう言いました。「一緒にお芝居やろうよ。そしたらもっと楽しいよ」と。それから一緒にお芝居の練習をして日も暮れるころになると、今度はこう言いました。「ばいばい、あーちゃん」手をふってきらきらとまぶしい笑顔で「また、あした!」

   *

 何日かの時が流れてから、武内Pはひとりで魔女の館に行きました。塔での顛末について考えに考えて、やはりプロデューサーとしてこのでかい図体でなにをすべきか、考えて決めて、そうして魔女ともういちど話がしたいと思ったのです。これはひとつの武内Pの願いでしたが、魔女に叶えてもらうつもりはなくて、もちろん対価を差し出すつもりもありません。
「自己紹介がずいぶんとおくれてしまいました。わたしはこういうものです」名刺を差し出した武内Pはこう言いました。「アイドルになってみませんか」
 アイドルがなんなのか、武内Pは微に細に語ります。魔女はこくんこくんと首をゆらしながら話を聞いています。願うもの、願いをかなえるもの、だれかのために祈るもの、勇気をだすもの、勇気をあたえるもの、愛するもの、愛されるもの。そういうのがアイドルだと言いました。してみると、魔女はまるでアイドルのようです。うつくしいたいせつな人のために願いつづける魔女でしたから。
 武内Pの話を聞き終えた魔女は微笑みました。とてもうつくしい笑顔でした。けれど「ダー」イエスの声が魔女のかたちのよい唇から紡がれることはなかったのです。
「スパスィーバ……ありがとう、でも、そうするには、わたしはもう、あまりにもたくさんの人の命を奪いました」こう言うと、魔女はひとしずくの涙をこぼしました。「ああ、もうあなたはあなたの家に帰る時間です、心やさしい人。この館はもうじき死んでしまいます、そうなると、プロデューサー、生きているあなたはここにいては駄目ですから」
 武内Pは後ろ髪を引かれながらも魔女の忠告にしたがって館を出ました。武内Pがそうして館を出て森を歩きはじめてすぐでした。館のほうからはげしい音が鳴り、地面がゆれました。ふりかえった武内Pの目にうつったのは、ぶあつい氷におおわれていく魔女の館でした。
 武内Pはどうしようもなくて、どうしようもなくかなしかったけれど、彼女のためにできることなどもはやなにもないことを悟りました。
 村にもどった武内Pは村人たちに「森の魔女は死にました。ですので、もう誰の願いを叶えることもなくなりました」と言いました。じっさいのところ死んだのかどうかはまだわかりません。もしかしたら氷の中で生きているのかもしれません。でもぶあつい氷におおわれた館にはもう誰も入ることはできないのですから、けっきょくおなじことなのです。武内Pはちょっとの嘘と大きな本当のことを村に広めて、愛する村人とあわれな魔女とそのうつくしいたいせつな人を守ろうとしたのでした。
 それから一夜明けると、館のみならず魔女の森ぜんたいがぶあつい氷におおわれていて、爾後どんなはげしい太陽の下でもこれが溶けることはなかったといいます。

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