おれたち妖怪バスターズ

 ロシア人の父はこの日本で母と出会った。母がアナスタシアを身籠もってすぐに父はロシアに帰国した。なにも妻子を見捨てるつもりで捨てていったのではない、時勢がこの家族の共にあることを許してくれなかったのだ。祖国で男女に命名される2つの名をまだ腹のなかにいる赤子に与えて去っていったから、父は血と名を家族に残していったのである。それが激しい時代の流れに逆らえない木っ端役人の父ができるせいいっぱいの愛情の表現だった。
 それからアナスタシアのふたつの祖国は戦い、たくさんの血が流れていった。ロシアに帰った父の行方はとんとわからない。「死ぬならせめて戦場で死んだ方がいい、そのほうがまだ救われる」と母方の祖父が言っていたのを、アナスタシアは当時まるで理解できなかった。
 誰が見ても日本人のそれではない外貌と誰が聞いても日本人のそれではない名を、どうしようもなくわりきれない感情のなかに抱えたまま、アナスタシアは今年15歳になった。祖父の言葉の意味が半分くらいならわかる年齢になったということでもある。
 アナスタシアはいつしかアーニャと呼ばれるようになっていた。

 ところで夜というものは昔に比べてずいぶんと変わった。家や店は夜でも明かりが灯っている、道には少なくない数の瓦斯灯が淡く道を照らしている。だから夜でもそれなりに明るいのである。
 日が沈めば夜になり、夜になれば人は消え、代わりに妖が現れる。ところがその夜になっても人はなかなか消えなくなった。別に夜の暗さに慣れたわけでも闇の恐怖に打ち勝ったわけでもない。夜が明るいから消えないだけだ。単純な話だった。
 逢魔が時は何刻かにずれ込んでいった。
 本当に人の誰も眠りこけた深い深い夜の闇に妖は現れる。人を脅かし喰らう以外に存在意義を持たないような彼らは、それでも夜を犯して現れる人間を、お天道様の下で生きる人間を、ぎょろりと澱んだ目を見開いて、へし折られたみたいな大きな鼻をくんくんと鳴らしながら、せむしのような体を曲げてじいっと待っている。阿呆な人間が、それで美味しい人間が、罠にかかるのを待っている。

 冬の寒さもいよいよ厳しくなってきたというのに、アーニャが夜も更けた時刻にわざわざ家を飛び出たのは、なにも明確な理由があったわけでなくて、ただ夕暮れ時に見た太白のようすがいつもと違って妙に赤々として怪しげだったのでアーニャはどうにも胸騒ぎがしてならなかった。胸騒ぎがおさまらないまま夜になって星が散らばりはじめると、空はいよいよ妖しくなっている。この季節に輝きを落とす星が輝き、輝きを増すはずの星が落ちている。
 アーニャはただ星が好きなだけで星占いができるわけではないけれど、どうしたって今夜の空はおかしいし、ただの混血児の少女にすぎないアーニャが凶変のにおいを感じとったところで、どうすることもできないのに、ふしぎとアーニャの足は家の外に向かってしまった。家族に見つからないように、そっと家から出て、ただ感覚が、鼓膜のあたりを打ってくる、奇妙な音が、行く方向をさしずしているみたいで、アーニャはそれに従って行燈を片手に砂利道を小走りに走った。
 そうして瓦斯灯の光が絶えたところで、行燈の光ももう一歩とどかない、目の前に広がる暗闇のなかに、ひとつの存在を認めた時。
 それがアーニャの逢魔が時だった。
 彼女は出会ったのだ。
 妖に。
 妖でありながら自分とおなじ存在に。
 そう、おなじだった。
 はんぶんずつ。
 ふたつの違う血のはんぶんずつを持った金色の髪の彼女に。

「そんな薄着じゃ風邪引くよ、おお、ゲホンゲホン」
 わざとらしく咳き込みながら自分が羽織っていた濃紺の外套をアーニャの肩にかけた。
「ここで逢ったのもなにかの縁、サア、今夜はきみンちで一晩過ごそうじゃないか」
 それからこう言って、アーニャの手を引いてずんずん歩き進んでいく。アーニャは彼女のことなど全然知らないしむこうもきっと知らないだろうに、なぜか彼女の案内でアーニャの家にあっさり着いた。アーニャはこっそり家を出て来たものだから、入るときもこっそり入りたかったのに、彼女ときたら、大声で「たのもー!」と叫ぶものだから、アーニャは結局こっぴどく母に叱られるはめになった。
 それから小腹が空いたという彼女に母が握り飯をこさえてやって、それを腹に入れた彼女はアーニャの布団の三分の二くらいを占拠して一晩ぐーすかと眠りこけたのだった。

 街に号外号外と讀賣の声が高く上がったのは翌朝のことだった。
 昨晩アーニャが彼女と出会ったあたりで、魚のようなぎょろりとした目とへし折られたみたいな大きな鼻の、せむしのように体の曲がった矮躯の男の、焼け爛れた醜い死体が発見されたらしい。
 妖が出た。妖が出た。妖が出て、妖が死んだ。あれは妖の死体だ。きっとそうに違いない。みんながくちぐちに言っている。
 朝食のとき、当たり前のように一緒に食べている彼女にさぐるような目を向けると、彼女はにこにこと笑って、
「朝はみそ汁とごはんだね」
 そう言って手を広げた。指先に煤がついていた。
「あなた、は、何者ですか」
 背筋にゾッと寒気が走ったのはきっと冬のせいだ。なにもかもを吸い込むかのような、彼女のまんまるい目のせいじゃない。アーニャは自分にそう言い聞かせた。
 するとまんまるい目をパアっと輝かせて、彼女が言うには、宮本フレデリカっていう人間と妖怪の混血児なんだけどまあどっちかっていうと人間の味方だから妖怪退治してるんだけど、それには妖怪の力使ってるんだけど、あ、私でも脳みそパーフェクトに人間なんだよね、妖怪退治に妖怪の力使うけど。それで今「クローネ」っていう妖怪バスターズに参加してるんだけど、キミときたら、なかなか、才能がありそうじゃないってうちのリーダーが言ったからスカウトしようと思ってここ何日かストーキングしてたんだけど、どうやら感受性高いタイプなんだね、サーチ&デストロイのサーチのほうだね。適性。たぶん。まあ、そうじゃないかな。ま、ちゃんとした判断はリーダーに任せるけど。それでどうかな、一度うちのチームに顔出してみない? 可愛い子いっぱいいるよ? え? そういうの興味ない? よりどりみどりだよ? なに? 茶屋の娘さんが好きなの。あー知ってるあそこお菓子美味しいよね、娘さんってあの妙に色っぽいっていうかセックスピール全開のドスケベ娘のこと? ああいうのがタイプなの? えっ今ぶった? もしかしてぶった? なんでぶったの? え? え?

 それから数日後惚れた女は妖魔に攫われ、苦しむアナスタシアは宮本フレデリカに連れられ、妖怪バスターズ「クローネ」の本部に行ったのだった。
「ようこそ、アナスタシアくん。われわれはきみを歓迎しよう」
 なんとなくちょっと疲れたような顔をしたそれなりにお年を召した女性が厳かに言った。
「リーダー?」
「ノーリーダー。イエスめいよかいちょー。リーダーあっち」
 指さされた先にいた。どこか飄然とした少女。リーダーというには若すぎる気がしたけれど、その疑問は速水奏と名乗ったこの若いリーダーと一言二言交わしたらあっさり解けた。なるほど彼女がリーダーだ。この妖怪バスターズを纏められるとしたら彼女以外に考えられない。
 というか他が駄目すぎる。色々駄目なような気がする。だいじょうぶなのだろうか、この組織にミナミのことを任せても。
「カナデ、信じます、あなたのことを。どうか、どうか……」
 奏の両手を握り締めてアーニャはもう彼女に縋るしかなかったのある。仕事はちゃんとするけど仕事以外は結局フレデリカと大差ない変人だなんて、この時アーニャが知るすべなんてなかったのだ。

 その後なんやかんやで奏リーダーの作戦と適切な現場指揮によってミナミは無事救出された。
 再会するふたり。奏に肩を支えられながらこちらに歩みよってくるミナミの姿を見て涙ぐむアーニャ。ああ、なんということだろうか、ミナミもまた、アーニャを見て涙をこぼしているではありませんか。
 やがて奏の手が離れ、ミナミはひとりアーニャと真向かい、しばし黙して視線をかわす。
 フレデリカ「ミナミ……無事でよかったです……」
 しゅーこ「アーニャちゃん……私のためにこんな……怪我までして」
 フレ「ニェートかすり傷です。ミナミに比べたらこんな怪我たいしたことないです」
 しゅー「アーニャちゃん……」
 フ「ミナミ……」
 常務「ふたりは幸せなキスをしてちゃんちゃん」
 その日妖怪バスターズ・クローネの襲撃を受けた妖怪屋敷跡では、祝福の拍手が鳴りやまなかったと言います。

 さてはていまだ混沌やまぬ大正時代
 人と魔が出逢う時の羽佐間で少女たちは宿命の星に何を見るのか
 戦えプロジェクトクローネ
 負けるなプロジェクトクローネ
 日本に真の平和が訪れるその日まで

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