高垣楓は美城の王国における最高のお姫様である。打診した企画を蹴られたのはちょっぴりショックだったがやはり最高のお姫様である。
あふれる気品、つややかな唇、やわらかな髪、白い肌、深く澄んだ瞳……高垣楓の身を構成するなにもかもが、美城常務の理想にぴたりと嵌った。
それは美城常務にとって至上の喜びであったが、同時に怒りを燃やさずにはいられなかった。
高垣楓。これほどの存在は他にない。346プロにも、他のアイドルプロダクションにもだ。日本最高の、いや世界最高のプリンセス。そう言ってもよい。それがこの346プロにいるという幸運に、愚かしいことに自分以外の誰も気づいていないというのが、美城常務の不快の原因だった。彼女をプロデュースしてきた者どもは今までいったいなにをしていたのだ。
あの程度の輝きで満足するとは、なんたる怠慢だろう。たしかに彼女はなにもせずに煌々と輝きを放つ。しかし、孔子が言ったではないか。南山の竹に矢の羽をつけ鏃を付けてこれを磨いたならば、ただに犀角を通すのみではあるまいに、と。
そうだ。高垣楓にふさわしい環境がある。本来もつ光輝を満遍なく発揮できる環境をととのえてやらねば、この高垣楓という神が生んだとしか思えない奇跡の存在に対して無礼というものだ。
まあ、本人に断わられたんだけど。仕方ない。それでも彼女はやはり最高のお姫様だから。気を取り直そう。前を向いて歩こう。
そんな傷心からしばらく経つと常務に気の置けない友人ができた。ずいぶんと年下の友人でなんと日本人とロシア人のハーフだという。見た目は完全にスラヴ特有の妖精のようなふしぎな美貌をもっていて、しかし15歳という年齢が、その美貌に愛らしい幼さをたたえて、これもまた神の奇跡か、と常務は思った。
少女とは妙に話というかウマがあう。たまに飛び出すロシア語はちんぷんかんぷんだが前後の言葉でだいたい言いたいことはわかるから大丈夫。
今日も暇をみつけては部屋に呼び出してふたりで楽しく会話する。ちょっとしたストレス解消であなる。
「高垣楓がくだらないだじゃれを連発するというが、あれはたちの悪い噂話だろう?」
「ニェト、カエデはダジャレたくさん言います。ミナミ、たまに笑います。私は面白さ、よく分からないですけど」
「いやいや、ウィットに飛んだジョークというものだろう。断じて寒いオヤジギャグではない。ありえない。美城のお姫様なのだから、彼女は」
「女王様の間違いでは」
「酒癖が悪いだの、酔っぱらって周りに管を巻くだの、われらの高垣楓を陥れる中傷がかまびすしい。これはよくないことだ」
「ミナミはまだ未成年なのに飲み会に付き合わされて、マンションまでカエデを運ぶ、よくないと思います」
「いやいや、それこそがだから誤解というもので……、あ、そうだ、ミナミ……そう、新田美波だな。彼女は高垣楓のなんなのかな。やたらへばりついて――じゃなかった、まるでお姫様の従者気取りであれこれお世話をしているらしいじゃないか。たしかにそういうイメージ衣装のツーショットを撮ってはいたが、あくまであれば撮影であって仕事とプライベートは厳密に分けるべきではないか。きみ、CPでのユニットのパートナーなんだろう。そこのところ、すこし注意すべきじゃないか」
「したけど聞いてくれないです。あとおあれは姫様と従者じゃなくて女王様と囚われのお姫様でした」
「ふむ、聞く耳持たないか。まったく困ったものだ、CPというのは。だいたいなんだ、あの、サキュバスだの、メイドだの、競泳水着だの……いや水着はいいか…アイドルだから、それくらいは……」
「ニェト! 水着も駄目です! 全部駄目です! セクスィなの全部駄目です! ソロになって何故ミナミは全部セクスィなお仕事ばかりですか!?」
普段おとなしいこの子は、たまに突然興奮する。真っ赤なロシアの血がそうさせるのだろうか。
彼女の神秘的なおもざしといい、さえずるような歌声といい、それに育ちのよさを感じさせる温厚でまじめな性格。どれをとっても、おなじハーフだけれど見た目だけで選んで一時どうしようかと本気で扱いに困った宮本と違って、どこに出しても安心できる子であるはずだったのに、全く人の本性というものはわからないものだ。もしかしなくてもトライアドの3人以外にはトークをさせないほうがよいのではないか。当時ひっしにこちらの企画を阻もうとあらゆる手を尽くしてきた宮本や塩見たちのプロデューサーは、あるいはわたしのために妨害行為を繰り返していたのかもしれない。近頃そう考えるようになった。
それはともかくとしてだ。
「そんなことを、私に言われてもな」
そういう路線でやらせてるのそっちのごついでかいプロデューサーなんだから。というのが常務の正直な気持ちである。
「きっときみをプロジェクトクローネに引き入れた私への当てこすりに違いない。ケツの穴の小さな男だ」
そう言った常務に15歳の軽蔑なまなざしが向けられた。ちょっと言い方が下品だったかもしれないな。反省しよう。
時計をみれば休憩時間も終わりが近づいている。常務ではなくアイドルの。常務に休憩時間など一応会社の規則上あるにはあるが実際ない。仕事の一環と言い張ってこうやってクローネのアイドルと対話の時間をもっている。だから傍目にはアイドルの休憩時間を邪魔する常務、という図になって見えるが、気にしなくていい。お茶もお菓子もここにはある。彼女だって人並みの、うす暗い不満はかかえている、吐き出せる相手がいたっていい。これも人の上に立つ者の、やはり大事な仕事なのだ。でも新田美波の件についてはどうにもならないぞ、私には。むしろ、そう。
「そもそも、どう言い繕っても彼女はエロいのではないか? なにも個性を潰すようなことをすることもあるまい、彼女のありのままの魅力をファンに発信していけばいいって常務思うな」
その夜、常務は彼女に抱かれた。
了