「……みなみ、ちゃん」
ベッドで眠る彼女にわたしはよびかけます。ベッドのかたわらに腰をおろして、そうよびかけます。
「みなみ、ちゃん」
気絶するように眠りについた美波ちゃんはベッドでちいさな寝息をたてています。起きていたらいつもの笑顔で「なんですか美優さん」と言ってくれるのですが。
きっとたくさん怒ってたくさんしゃべって、それからずっとたまっていた疲れもいっしょにまとめて爆発して、こうなってしまったのだと思います。
けんかをしてしまいました。あんなに怒った美波ちゃんをわたしは一時間まえに、(おはずかしいことですが恋人として)おつきあいをするようになって、はじめてみました。
からだのなかにたまりにたまったものを、ぜんぶ吐き出すみたいにして、美波ちゃんはたくさんのことばをまくしたて、わたしを、責めて、うん、はい、たぶん、責められていたのだと思います。まちがっても、自責をぶつけられていたわけではないと思います。ほんの一時間まえのことなのに、ちょっと自信がなくなってきました。(ほんとうに怒られていたのかなあ、わたし)
きっかけはなんだったでしょう。きっとわたしが彼女のふれてはいけない心の繊細な部分にふれてしまったのだと思います。でなければ、いったい彼女があんなにも怒ることがあるはずないですから。
美波ちゃんが眠りつく一時間まえの、三十分くらいのあいだ怒鳴られっぱなしでした。長いのか短いのかはわかりませんが、たぶん短いです。と、OL時代を思い出します。
発熱するくせがあると、よく言っていました。学校の試験であるとか舞台発表であるとか、本番まえになると緊張や興奮で発熱することが、しばしばあるそうです。そういえばデビューした年のサマーフェス(わたしはまだアイドルではありませんでした)でも、そういうことがあったそうです。この話は、当時の職場の同僚がひとつの事件として話していたのでよくおぼえています。正確には事故でしょうか。わたしは「ラブライカ」のなまえをそこではじめて知ったのです。彼女が結成しているユニットです。この「ラブライカ」のお話をしているときの美波ちゃんが、わたしはいちばん好きです。たれがちなふたつの目が、いつになくきらきらとしているから。
ああ、思い出しました。試験です。資格の試験です。美波ちゃんはそれを受けようとして、いっしょけんめい勉強していました。わたしもそれをみていました。ふつうの社会人だったときに多少かじっていた分野なので、ちょっとくらいのアドバイスもしたおぼえがあります。
だけれど、美波ちゃんは試験日当日にまた熱を出して、彼女はもうアイドルでもありますから、むりをとおして試験を受けるようなことをせず、自宅で休んだのです。
ということを、わたしは全然知りませんでした。かりにも恋人同士だというのになんてことでしょうか。てぬかりにもほどがあります。発熱まえには、なんらかの変調があるそうです。アーニャちゃんが聞きました。いつもの美波ちゃんとすこしちがうそうです。
わたしはそのシグナルをうけとれませんでした。なので、「試験はどうでしたか」と訊いてしまったのです。熱がひいたばかりの彼女に、そう訊いてしまったのです。
それで美波ちゃんはワアワアと泣きだしてもうずっと怒鳴っていました。いまははっきりと思い出せます。やっぱり美波ちゃんはわたしではなくて、自分自身を責めていたのです。その怒りをわたしにぶつけたのです。
それは美波ちゃんの甘えにちがいありませんでした。それくらいならわたしにもわかるのです。
「美波ちゃん」
すこし青ざめた顔で眠っている美波ちゃんにわたしはそうよびかけます。
返事はありません。
ごめんね。あなたの異変に気づいてあげられなくてごめんなさい。あなたよりずっと年上の恋人なのにふがいなくてごめんなさい。
わたしは謝ります。起きている美波ちゃんにこんなことを言うと、美波ちゃんはきっとまた自分を責めるので、寝ているあいだに言います。言いたい放題言って謝りたおします。
頭をさげて、謝りました。
何度めか、そうしているうちに、わたしはそのままベッドに頭をのせて、眠ってしまいました。
後日のことです。
事務所に行くと、アーニャちゃんがにこにこして近づいてきました。わたしの両手をとって、
「ガス抜きのひと、増えてよかったです。ミナミあんまり、そういうことしません。わたしにもちょっと、ンーまだかくされることあります。きっとわたしがこどもだからですね」
だから、スパシーバ、つまり、ありがとう、と言われました。
わたしはアーニャちゃんの手をにぎりかえしました。
こんどはちゃんと、気づいてあげたいです。
いいえ、きっとそうするでしょう。
わたしはなにせ、五年ほども他人の顔色ばかりうかがっていた社会人で、年長者で、お姉さんで、それからやっぱり、新田美波の恋人なんですから。
了