泣き顔

 ――どうして、かんじんなときに、一緒にいてあげられなかったんだろう。
 おそらく自分はそのことを生涯悔やみつづけるにちがいない。灯りもつけずに夜の暗さに沈む部屋に、乱雑に私物が置かれた床と、なによりベッドでふるえるブランケットのふくらみは、ちとせにいやおうなくそのこと自覚させた。
 この部屋にはベッド以外に調度品らしい調度品はない。ドアをあければまっさきにそのベッドが目にはいる。そして部屋は千夜が泊まりに来たとき必ずあてがわれるのであって、ベッドの上でまるくなっているものがなんなのか、わかりきったことだった。
 ちとせは万一にも千夜にきこえないように、しずかに深呼吸した。息が熱かった。
 熱がぶりかえしてくるような感覚がある。それはほんとうにただの錯覚にすぎなかったが、小康を得たばかりのちとせの体に、奇妙な現実感をもってのしかかってきた。
 数日前に急な発熱のあったちとせは、なかなか熱がひかず、今朝までずっと寝込んでいた。それ自体はよくあることだったが、千夜のほうはそうではなかった。ちとせが熱にうなされているあいだに、千夜は両親を喪っていたのである。
 ちとせが病床を払ったときには、埋葬までぜんぶ終わっていたことだった。家人が気をつかって病臥にあるちとせの耳に一切いれさせなかったのだろう。いま千夜を黒埼邸であずかっていることさえ、ちとせはさきほど知ったばかりだった。
 これは生まれつきのことでちとせ自身にはどうしようもなかったが、千夜のためになにひとつできなかったことに変わりはなかった。
 かんじんなときにそばにおられず、千夜の両親には自分もずいぶんとかわいがってもらったのにお見送りもできなかった、そういう思いのほうがつよかった。
 したがってちとせは、自分の十四年というさほど長くない人生のなかでいちどもかかえたことのない悔恨をかかえて、この夜、千夜が寝泊まりしている部屋を訪ったのだった。
 なんどか深呼吸したあと、ちとせはベッドの端に腰をおろした。
「千夜ちゃん――」
 と言ったのは、名前を呼んだというより来訪者がだれなのかを伝えるためだった。
 千夜の反応はなく、部屋にはいったときとおなじで、泣くのをがまんするようにしゃくる声と、ブランケットのこすれる音がするだけである。
 しばらくそれをきいていたちとせは、まだ倦怠感の残るからだをうしろに倒してみたくなった。そのまま眠ってしまっても千夜はあんがい無反応かもしれない。ちとせはそんなことを考えた。しかし、それではここにきた甲斐もないだろう。
 ばからしいことを考えているうちにブランケットのすきまから千夜の手がよわよわしく伸びてきて、ベッドについたちとせの手の甲に指先がのった。ちとせは手を返してその指先分だけやんわりにぎった。
 そうやってしばらく手のなかで千夜の指をこねまわしていると、千夜はしだいに声をおさえるのをやめ、すすり泣きがきこえるようになった。
 千夜がちとせの手をにぎりかえしてきた。それがひじょうにつよい力だったのでちとせは一瞬顔をゆがめた。そのまま手を引かれ、ちとせの体がかたむいた。
 ――あっ。
 と驚いたときには、千夜はすでにブランケットを払いのけ、ちとせに抱きついていた。そしてふたりでベッドに倒れこんだ。
 千夜はちとせの胸にめいっぱい顔をうめている。泣き声はくぐもっている。泣き顔はちとせからはみえない。
 むかしからよく笑い、よく泣く子だった。笑った分だけ泣いて、泣いた分だけ笑っているような子だった。千夜の泣き顔も笑い顔もちとせはよく知っていた。いまの千夜がどんな顔をしているのか、ちとせにはわからない。親を亡くしたばかりの十二歳のこどもがどんな気持ちで泣いているのか、ちとせには想像もできない。
 それをみずにすんでいることに、ちとせは多分に安堵した。おかげでこちらの顔をみられない、と思えば心にすこし余裕ができる。
 ちとせは千夜を抱きかえした。それから千夜の両親の死を悼み、ひっそりと涙を流した。それはちとせの髪をつたってシーツに落ちた。
 ほんとうならもっとはやくにすべきことだったし、そのときであれば一緒に声をだして泣くこともできたかもしれない。そういう慰め方もあっただろう。しかし、もうおそかった。いつのまにか終わっていて、ちとせはとりのこされたみたいに、悲しみに沈みきれない、どうしたっていまさらなことだった。自分ではどうにもできないことであっても、ちとせにはそれが悔いになった。
 腕のなかで千夜がみじろいだ。
「ちとせちゃん……」
 かろうじてききとれるくらいのかすれた声で言ったかと思うと、にわかに嗚咽がとまった。
 そのとき、ちとせは、どうしてか千夜に、自分の涙をみられたような気がして、内心慄いた。
 千夜はもう、ちとせに抱かれたまま、ちょっとも泣かなかった。

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