夢幻写真

 被写体としての衣笠は、青葉にはちょっと、ありがたくない存在である、と言ってしまうと、いつも気前よく写真を撮らせてくれる妹に失礼になるだろうか。
 衣笠は不意にむけられるカメラをまったくをいやがらず、青葉をすげなくあつかったこともなく、それどころかあれこれとポーズをとってくれる。本来はありがたいはずなのに、青葉にはどうにも苦手だった。被写体が被写体である自身を意識することを、青葉はきらった。意識した被写体は撮影にふさわしいかたちをつくろうとする。そうすると写真の自然さというか必然性が希薄になってしまう気がするのである。
 だが、ことわりもなく写真を撮るのは、身内はかまわないだろうが、それ以外となると、めんどうな問題になる。と言って、先に許可をとれば、相手は写真を撮られることを意識する。衣笠ほどでなくても、自分の姿が撮られるかたち、撮られたいすがたになろうとする。
 青葉が撮りたいのはそういうものではない。では人物写真をやめるか、と言えばそれも心情的にむりなことだった。人物のうつらない風景写真に青葉はさして惹かれなかった。青葉の好きな自然とは風景ではなく人物にある。熱を宿したひとの動きの、あるがままを切り取りたいのである。その熱がかすかにでもファインダー越しのこちらにむけられては困る。
 何日の何時から何時まで、と時間を決めて写真を撮らせてもらう方法をとったことがある。その時間内であれば被写体がどよのような状態でも、自由に撮影できるという方法である。しかし、だれだって写真には自分のうちでもっともよい顔でうつりたいと思うもので、青葉がもっともよいと感じる表情は、たいていの被写体にとってそうではなかった。青葉の考える「自然」は被写体にしてみれば「油断」でしかない。青葉は撮った写真をどこかの写真誌や新聞に投稿したり大勢のひとに見せたりしないが、それでも残してほしくないものらしい。
「それってさ、もう完全な隠し撮りをするしかないってことよねえ」
 衣笠はいやみのつもりで言ったわけではないが、
「そう言われては身も蓋もない……」
 現像した写真を一枚つまみあげた青葉は、大口をあけて眠っている被写体のだらしなく出ているへそのあたりを、爪ではじいた。

 青葉のわがままをとおせる被写体はそうない。
 空母はまず部隊のリーダー格が許可を出してくれない。上がそうだからわりと乗り気の下の者たちも結局はそれに倣う。それでも青葉はめげずに、こっそりと撮ろうとしたが、すぐ気づかれ、射かけられた。
 戦艦は金剛姉妹ならたやすく撮らせてくれる。被写体としては四人が四人とも衣笠と同じタイプで、青葉の望む写真はちっとも撮れないが、撮影中もその前後も過ごす時間はいつも楽しかった。彼女たちの性格の好さだろう。他はにべもなかった。
 陸軍艇や潜水艦とはさっぱり交流がない。このあたりはそろってぶきみな存在であり、青葉は最初から数にいれていない。
 巡洋艦。これは青葉と近すぎてかえってよくなかった。だいたいは、
「写真、いいですか」
 と許可を求めれば、
「いいよ」
 と簡単に返事をする。撮るほうはともかく撮られる分には写真好きは多く、やはり衣笠と同じように、気前よく撮らせてくれた。いや、感覚的には、撮ってもらう、なのかもしれない。むこうから写真を頼んでくることもある。
 たとえば、冬の日の出のぴんと冷たい空気の中で、レンズにむかってかろやかな笑顔をうかべた川内姉妹の写真は、引き伸ばされて、彼女たちの部屋の壁にかざられているが、これは青葉が川内に頼まれて撮ったものである。
 青葉の撮影を許しつつ、存在を無視するのは駆逐艦に多かった。写真を撮られたがる子もそうでない子も、すぐに青葉とカメラの存在に飽きて、別のことをやりはじめている。青葉にはやりやすい状況がかってにととのってゆく。
 が、彼女たちの外見は、はっきり言えばこどもばかりである。妙な噂が立っているのを知って以来、青葉は撮るのをやめた。

 夏の終わり頃、青葉はひとつの祝賀会に参加した。
 基地内にある食事処の座敷席で、すでに暖簾のはずされた深夜に、それはおこなわれた。会の主催は加古であり、主役は古鷹であり、参加者は青葉の他に、衣笠、鳥海、天龍、夕張がいた。
 古鷹に第二次改装の内示があったために、それを祝う目的で、この夜ひそやかに催されたのだった。
「公示は秋になるから、今のうちに身内でお祝いしておくとよい。場所はぼくのほうで手配しておくから」
 と提督はこう言って、きまじめでおとなしい古鷹の功をねぎらったのだった。
「なんにせよ、めでたい」
 まず天龍が言って、古鷹のちいさなグラスに瓶のサイダァ水をそそいだ。酒を飲んで正体をうしなってはまずいということで、この席に酒は出されなかった。
 古鷹のグラスがからになると、順々に祝いの言葉とサイダァ水をそそぎ、それが一巡りすると、あとはなごやかな談笑があるだけだった。
 店を出た時、
「寄りたいところがあるから、みんなは先に帰っていて」
 と古鷹が言った。どこに、なんの用があってのことかは、言わなかった。
 あくびをしながら加古がうなずいた。
 衣笠が加古の手を曳いて、
「送っていくわ。あんまり遅くならないでね」
 と言った。
「うん、ありがとう」
 古鷹はすこしもうしわけなさそうに言って、衣笠に加古をあずけた。
 青葉はどうしようかと思った。そのまま帰るのもなんとなくおもしろくない。古鷹はたんにひとりになりたいだけなのか、秘密にしておきたいことがあるのか、それも気になった。
 帰路につく仲間に背をむけて、ひとり別の場所へ行こうとする古鷹が、青葉にはむしょうに腹立たしく、またなにかさびしく感じられたのだった。
 青葉は踵をかえして、古鷹に近づいた。
「ご一緒してもいいですか」
「ちょっと、青葉――」
 うしろから咎める声がしたが青葉は無視した。
 古鷹は足をとめ、数度またたきをして、うつむき、しばらく黙っていたが、やがて、
「いいよ」
 と言い、また歩きだした。
 青葉もそれについていった。
 衣笠たちの気配が消えたのを感じたところで、青葉は言った。
「いったい、どこに行かれるんです」
「武器庫」
 と古鷹はあっさり言った。
「えっ、武器庫に――」
 青葉は驚いた。なぜ、と問おうとして、その理由に思い当たると、いっそう古鷹の行動が理解できなくなった。
「おつかれさまを言うのは、まだ早いと思いますが……」
 公示が秋であれば、実施はそれよりもさらにあとになる。まだまだ、今の武装で古鷹はがんばらなくてはならない。
「そうだね、でも、サイダァを飲んでいたら、どうしても、今日、言っておきたくなって」
 と古鷹は言った。
 青葉はそれ以上はなにも訊けなかった。
 庫の番の妖精はあっさり鍵を開けてくれた。庫の明かりはつけなかったが、かわりに懐中電灯を貸してくれた。これは青葉が持った。
 古鷹と加古の武装は、他に見ないめずらしい型のものである。背負うのでも腰に巻き付けるのでもなくて、機械式の外骨格のようなもので、すっぽりと体を覆うのである。それらはまるで、彼女たち自身が機械であるかのように、見るの者の目にうつった。
 つかいなれた武器のまえに立った古鷹は、一言も声を発せず、ただじっと、冷たい輝きをはなつそれを見つめた。その目に宿る熱も情も、それがいかなるものか、青葉にはわからなかった。
 カメラを持ってくればよかったと青葉は思った。無礼きわまりないが、ファインダーにうつる彼女をこの目に焼き付けたいと、強烈に思ったのだった。

 冬になった。
 吐く息が日に日に白さを増している。
 第二次改装を無事に終えた古鷹は、それによって発生した周囲の騒がしさと忙しさにしばらく揉まれていたが、やがてそこから解放されると、今度はいっきに無聊をもてあますようになった。
 青葉が部屋を訪れると、古鷹は飼っている観賞魚に餌をやろうとしているところだった。アクアリウムは古鷹の唯一の趣味といってよい。室内はその都合なのか暖房がほどよく効いている。
「写真、一枚、いいですか」
 と青葉は人さし指を立てた。
 古鷹はやわらかく笑って、うなずいた。
「取材?」
「いえ、趣味のほうです」
 この頃の青葉は、広報誌などに写真を寄稿するようになっていた。
「ちょっと待ってね」
 餌やりをすませてから、青葉の撮影を受ける、ということだった。
 青葉は待たなかった。さっとカメラを構え、ほとんどファインダーを見ないでシャッターを切った。
「終わりました。どうも、失礼します」
 青葉は頭をさげた。
「えっ、もう終わったの?」
 青葉の言う一枚とは、たくさん撮った写真から一枚を選び取る、という意味だと古鷹は思っていた。その認識に誤りはないはずだった。しかし青葉は、シャッターを一度切っただけである。これも写真一枚には違いない。
「はい、ありがとうございます」
 不得要領の古鷹をおいて、青葉は部屋を出た。

 現像した写真をまず衣笠に見せると、
「あら、いい写真じゃない」
 と褒めてくれた。
 魚に餌をやる古鷹のうしろ姿がよく撮られていた。水槽にはうっすらと古鷹の顔がうつっており、おだやかな表情をうかべているのがわかる。衣笠はそれよりも、
「水の色がきれい」
 と、そこに惹かれたようだった。
「雪が降っていれば、もっときれいだった」
 と青葉は言った。この写真はそこが残念だった。
 衣笠は首をかしげた。
「窓、うつってないじゃない」
「窓じゃなくって、部屋の中に」
「それはきれいかもしれないけど、魚が死んじゃうって」
 と言って、衣笠はおかしなことを口走る青葉の背をはたいた。
 背にかすかな痛みを感じながら、青葉はスノードームにたたずむ古鷹を想像した。新しい艤装を付け、古い艤装を見つめている古鷹である。あきらかな人工物であり、つくられた被写体だったが、青葉にはその姿は古鷹のあるべき自然だと思った。そしてそれこそが、この世でもっともうつくしいものに違いないと思った。

 古鷹が雪の中でたたずんでいる。
 むろんその雪は本物であり、立っているのはスノードームの中ではなく、艤装もはずしており、支給品のコートを羽織って、係留中の輸送船を見つめていた。
 古鷹の横顔は赤らんでいる。
 青葉はそれを撮った。
 古鷹が青葉に気づいてふりむいた。
「出港は数日、みあわせることになったそうです」
 と青葉は古鷹に教えた。この輸送船には古鷹の前の艤装も積まれている。運ばれた先で、どう扱われるかはわかっていない。
「そう」
 古鷹はみじかく、白い息とともにもらした。その息にこめられた感情の正体を青葉はとらえきれない。
「雪、これからひどくなりますよ。部屋にもどらないと、風邪ひいちゃいます」
 そう言いながら、青葉はカメラを構え、立つ位置と方角をすこしつづ変えながら、輸送船をファインダーにおさめ、シャッター音を鳴らしつづけた。
 フィルムが尽きかけたところで、古鷹が、
「もどろう」
 と言った。
「はい」
 と言って青葉はカメラをおろした。
 青葉は古鷹の右手を掴んだ。古鷹の艤装は大部分が右腕に寄っている。付けている時、古鷹の生の右腕はまったく見えなくなる。まるでそんなものは最初から存在しないかのように。
 手袋さえしていない、冷えきった古鷹の生の手を、青葉は握った。
 歩きながら青葉は言った。
「夢幻を撮りたいんです。夢みたいな光景を写真におさめたい」
「夢を撮るのが青葉の夢なの?」
「そんな感じです」
 青葉は鼻を鳴らして笑った。
「なにが、おかしいの」
「まえに、衣笠に言ったら、笑われたもので。その時はちょっと腹が立ったけれど、考えてみると、たしかに、とんだ笑い話だと思ったのです」
「そんなこと……」
 古鷹は口ごもった。夢の内容を知らない古鷹は、青葉の言葉を否定するつよい根拠をもちようがなかった。
 ――夢とは、あなたのことです。
 と青葉は言いたかった。が、言わなかった。言えなかったのか、言う必要はないと思ったのか。

 現像した写真を机の上にひろげた。輸送船ばかりの中に一枚だけ、古鷹がうつっているものがある。それをつまみあげた衣笠は、
「いまいちね」
 と言った。
「雪景色ってさ、あんまりきれいじゃないよね。なんていうか、白っていうより灰色っぽいっていうか、全体的にくすんでて……」
「ええ、雪が降っているということは空が暗いということですから、衣笠が好むような、明るい写真にするのはむずかしいです」
「へえ……」
 衣笠は気のぬけた返事をした。感心しているふうにも、残念がっているふうにも聞こえた。
「青葉的にはどうなの、これ」
 衣笠は持っていた写真を青葉の胸の前につきだした。
「いまいちです」
 と青葉は言った。夢幻にはほどとおい写真である。理想の絵を構成するには、あれもこれも不足している。
「これが、古鷹さんの部屋の中なら、いい写真だと自賛できたのに」
 衣笠から写真をとりあげて、青葉は肩をすくめてみせた。
「魚、死んじゃうじゃない」
 またへんなこと言って、と衣笠はくすくす笑った。
 青葉も唇のはしをあげて笑った。
「衣笠は笑いますが、古鷹さんは笑わなかった」
「あのひとは、やさしいからね」
「おや、すると衣笠はやさしくない」
 青葉が言うと、衣笠は一瞬目をみひらいたが、やがて声をあげて笑った。
 青葉は机のひきだしをあけ、無造作にしまわれている一枚の写真を手にとった。昼寝をしている加古の写真である。大口をあけ、よだれをたらし、腹を出して、おおまたをひらいている。
 思い返せば、青葉は古鷹を被写体とした写真をかなりの数撮っている。青葉にとって古鷹は気兼ねせずにシャッターを切れる相手のひとりである。が、――
「けっきょく、これにまさる写真を、ひとつも撮れないでいる。夢幻の写真は、夢のまた夢、ですか」
 青葉が吐いた嘆きの息は、衣笠の笑声にまぎれてまたたくまに消えた。

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