惚れた彼女の本性は

 クリスマスに予定があいているなら一緒に遊ばないかと響と未来が誘ってきたので、野暮用があるからと言って断わった。嘘である。
 せっかくの聖夜なのだからふたりきりで過ごせばよいだろうに、そろってお人好しなものだから、わざわざお邪魔虫をつくるようなまねをしてくるのだ、彼女たちは。クリスマスにかぎった話ではないから、クリスにしてみるとわずらわしい、おせっかいだった。こちらが気を遣っている気分になる。
「それなら」
 と、未来が買い出しにいくから荷物持ちになってほしいと、なんとも気遣いのないことを頼んできた。クリスはこれについては諒承した。それくらいならいくらでも時間をつくってやろう。なぜなら、この買い出しに響はついてこないからだ。クリスにとってのお邪魔虫≠ェいない。
 ついでに響へのプレゼント選びも手伝ってほしいとも頼まれた。
「こう毎年だと、プレゼントのネタも浮かばなくなっちゃって」
 そう言いながら、未来は楽しそうだった。きっと頭の中ではそのプレゼントを受け取って喜ぶ響の太陽みたいな笑顔がひろがっているのだろう。うらやましいことだ、そして、少々ねたましいことでもあった。
 その日はことさらに寒かった。
 街路樹の葉はすっかりなくなって、空は暗い雲で覆われていて、水気の多い雪がちらほらと降りては、鋪装された路に溶けて消えた。
 すれ違うだれもかれもの吐く息が白い。
 クリスと未来の息も当然白かった。その白い息をまぜながら、
「首輪でも買ってやりゃいいんじゃないか。首輪つけて鎖でつなげば、あのおちつきのないの、見失わずにすむぞ」
 と冗談半分・本気半分といった具合でクリスは提案した。
「それもいいかもね」
 未来は笑った。それから、
「でも私には自分の足があるし、目も、耳も、あるから」
 自信のこもった語気で言った。
「そっか。……まあ、そうだな」
 そういう言い方をされるとクリスは納得するしかない。
「じゃあ……」
 クリスはすこし考え込んだ。そして、
「リボン、とかどうだ」
 と言って、未来の髪を結わえている白いリボンを指さした。
「リボン? おそろいにするの?」
「そう」
「してくれるかなあ。あの髪型、大好きなおばあちゃんと同じのだからって、気に入ってるから、響は」
「ふうん。おばあちゃんとおそろいなのか」
 クリスの知らない立花響がほんのちょっとだけ紐解かれた。あいつはおばあちゃん子なのか、意外であるといえば意外だし、なるほどそんな感じだと思う部分もある。
「うーん、でも、たまになら、いいかも。そうね、リボンにするわ」
「言い出しといてなんだけど、そんなにかんたんに決めちゃっていいのか」
 クリスが心配になって言うと、未来はちいさく笑って、
「いいかげんに毎年のことだからね。駄目だったら来年――その前に誕生日かな、――おおげさだけど、リベンジすればいいんだもの」
「気長なことだ」
「そうね、自分でもそう思う」
「チャンスは何度でもあるんだな」
「今はね。響は、クリスも知ってのとおり、響だから」
 そう言って、未来は笑った。はにかむように、しあわせそうに、笑った。
(ああ、駄目だ、駄目だ。またこれだ)
 自分の胸に湧く響への嫉妬心をどうにも抑えきれない。このあいらしい微笑みを自分のものにしたい欲望を消せない。もうすっかり血の繋がらない母親に似てしまったのだろうか、クリスはふとフィーネのことを思い出した。
 駅前の百貨店に入り、夕飯の食材とプレゼントのリボンとを買って、帰路を歩きはじめる。
「ちょっと待ってろ」
 と言って、クリスは近くの自販機でコーンポタージュを買って、それを未来に投げ渡した。
「わっ」
 と未来が慌ててそれを腕の中におさめた。
「もう、いきなりびっくりするじゃない。落としたらどうするところだったの」
「気にすんなよ。それよりちょいと早いけど、メリークリスマス!」
 クリスは言って、掌に息を吐き出した。
「メリークリスマス……。ってかえしたらいいのかしら」
 不得要領のまま未来はその缶をかばんの中に入れた。今度はクリスが驚いた。
「おいおい――」
「帰ってからゆっくりいただかせてもらいます」
 未来はきっぱり言った。
「なんだ、もしかして、怒ってるのか」
「だって危ないじゃない。あんなのいきなり投げてきて」
 そのとおりだろう。それに気づいてクリスは反省した。ふつうに渡せばよかったのだ。いや、ふつうには渡せなかったのだ。クリスは心の中でだけ言い訳した。もしそうしたら、手が触れてしまっていたかもしれないじゃないか。あの子の手と自分の手が――

 クリスマスはイヴも当日も、居候先の風鳴邸にはクリスしか帰ってこない。
 翼と弦十郎は仕事だ。翼はクリスマスはファンのみんなと過ごすと毎年決まっている。弦十郎はフロンティア事変のことでまだ片付いていない仕事が溜っていたらしく、ここ数日、クリスの聞いたことのないような長ったらしい名の政府機関に缶詰らしい。
 つまり、クリスはこの夜ひとりで過ごすのだ。
 コンビニでパスタサラダとパンと牛乳に、チョコレートケーキも買って、それを腹に詰めると、テレビの電源をつけて、ぼんやりバラエティ番組などを鑑賞した。どこの局もクリスマス特番を組んでいる。赤・緑・白・そんな色が満載になっている。
 クリスマスを祝福のうちに迎えた記憶はほとんどない。両親が生きていた頃と、日本に戻って来てフィーネに攫われた後、彼女と過ごした二年ほどの時間、どう過ごしていただろう。家族一緒だった時はふつうの家族らしいクリスマスを過ごしていた気がする。フィーネの時はどうだったか。櫻井了子としての仕事も掛け持っていた彼女は、やはりこの師走の頃は家にあまりいなかった気がする。
 おおむね、いつもどおりということだろう。すくなくともクリスの認識では、この日はこの年もいつもどおりに始まり、終わってゆくものだ。
 玄関の呼び鈴が鳴った。
 ――どうやら、そうも、いかないらしい。
 クリスの名を呼ぶ声が聞こえる。
 いとおしいあのこの声だ。
 戸を開けてやると、未来がひとりで立っていた。
「メリークリスマス、クリス」
「メリークリスマス……あいつはいないのか」
「遊び疲れてさきに寝ちゃったわ」
「リボンのほうは?」
「喜んでくれた。ありがとう」
「ん、そりゃよかった」
 表情には出さないようにして、クリスも喜んだ。
「あがってもいい?」
「いいけど、あたししかいないぞ。それに食べるものも……」
「夕食ならもうおなかいっぱいだから、お気遣い無用」
 未来はそう言ってくつをぬぎ、きれいにそろえて、家にあがった。
「メリークリスマス」
 未来はまた言った。
「それはさっきも聞いたぞ」
「うん、そうね」
 未来はそう言って、クリスの手を掴み、ぐいと体を引き寄せた。
「うわっ」
「よっ、やっ――ううん、クリスけっこう重い?」
 バランスを崩しかけた未来は、体勢をととのえながら言った。
「お前なあ、いちおう女に対してそれはないだろ」
「いいじゃない、メリークリスマス」
「さっきからなんだ。おんなじことばっかり」
 クリスは湧き上がる自分の感情の処理に手間取っている。未来と体が密着してる。未来の鼓動が聞こえる。自分の鼓動もむこうに聞こえてやしないか不安になる。足の爪先から顔まで熱が急速にのぼっていく感じがする。気づかれないか、それも不安だった。
(うれしい、こまる、でもうれしい、どうすればいい?)
 いちばん素直な感情をさがせば、その感情は未来の体をひきはがすのをいやがっている。それにしたがっても、いいものかどうか。
「メリークリスマス」
 未来はまた言った。
「ホント、なんなんだよ、さっきからさ」
「クリスマスプレゼントよ」
「あ――」
 ああッ!
 クリスは叫んだ。叫んであわてて未来の体をひきはがした。
「いやな女だな!」
 クリスはハッキリと言った。ああ、なんといういやな女だろうか、この小日向未来という女は! この女はすでにクリスの恋慕に気づいていたのだ、おのれを恋い焦がれるクリスの気持ちに、その上でこんなことをしたのだ。これが、いやな女でなくて、なんだというのだろう!
「そうね。私っていやな子。クリスの気持ちには応えられないもの」
 でも、と未来は言う。
「今日はもう、帰らないから。響にもそう書き置きしてる」
「なんて女だよ。お前は、本当に。今わかった。これがお前の本性だったんだ」
 ついにクリスはその場にしりもちをついて座り込んでしまった。
 未来も膝をまげて、クリスをやわらかい手つきで抱きつつんだ。
「いやな女だ」クリスは何度も繰り返して言った。「ちくしょう」と。
「ちくしょうめ、こんなの、拒めない、あたしには。わかっててやってるんだな」
「いやな女だからね」
「ああくそ、こんなずるいことしやあがって。惚れた弱みってやつだ、どうしようもないんだ、あたしには」
 クリスはしまいには泣き出して、ワアワアとこどもみたいに泣き叫んだ。
 腹立たしいことに、クリスは嬉しいのだ。未来の訪問が、未来というクリスマスプレゼントそのものが、どうしようもなく嬉しいのだ。未来はクリスのものにはならないのに、未来は響のものなのに、それをよりにもよって今日、未来はクリスに直接伝えに来たのに、それでも嬉しいのだ。この感情の正体は喜び以外のなにものにも表現しがたかったし、あるいはまた、幸せというものがあるならばこれに勝るものだって、クリスにはとんと思い当たらなかった。
 ちくしょう、このいやな女ッ!
 涙でぐしゃぐしゃになったクリスの顔に、未来の顔が近づいてきた。やがて唇がかさなった。触れた箇所はこの世のなによりもただひたすらに熱かったと、この時のクリスには思われた。

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