惚れた彼女の横顔は

 クリスマスをひとりで過ごすのは初めてかもしれない、とクリスはふと思った。
 幼い頃は両親と、それ以降は幸福感なんてまるでなかったがゲリラの連中と、保護されて日本に帰って来てからの二年間はフィーネと過ごした。
 今夜の風鳴邸には自分以外の誰もいない。
 さびしい、と感じると同時に、反面みょうな解放感があった。今日は自由だ。なにをしてもいちいちうるさく言ってくる「センパイ」はいない。「男」の弦十郎もいない。これはチャンスだなとクリスは若干浮かれた気分になった。
 ためしに着ていた服を全部脱いでみる。下着も靴下も全部だ。これは亡きフィーネの真似である。
 寒いが、その寒さが心地いい。これはフィーネが好きなはずだ。肌に直にふれてくる、すこし鋭利な空気が、浮かれ気味のクリスをさらに浮かれさせた。
 ただし、それは長くは続かなかった。
 興奮はすぐにおさまった。
 とたんにクリスは冬の強烈な寒さを、ただの猛烈に寒いとしか感じなくなった。
(いやヤッパリだめだこれ、寒いだけだこれフィーネお前バカだろ)
 服を着直して、こたつのスイッチを入れて、もぐりこんだ。
「バカなことしちまった……」
 クリスは徐々にあたたまっていくこたつにひたりながら、しこたま後悔した。
 邸に誰もいないのがさいわいだ。それでも羞恥心で顔が赤くなる。ひとりでやってこれなのだから、もし翼などに見られていたらと想像するとぞっとした。
 フィーネはどうしてひとに裸をさらして平気でいられたのだろうか。またクリスは、それ以上にどうして自分はフィーネの裸体を見てなにも感じなかったのだろうかとも思う。裸体は見るのも見られるのも恥ずかしいものだろうといまさらながらに思った。
「うん?」
 玄関の呼び鈴の鳴る音が聞こえた。
 こんな夜更けに訪問客らしい。
 こたつから出るのがおっくうだが、居留守をつかうのも気分がよくない。
 クリスは未練を置いてこたつから出た。
「はいはい、どなたですかア」
 緩慢な動作で玄関の戸を開ける。すると、
「メリークリスマス、クリスちゃん!」
 勢いよく抱きついてくるバカがいた。
 クリスはそのまま腰から倒れた。
「いって――」
「いったあ――」
「なにやってるのよもう……」
 呆れた果てた未来の声が降りてきた。
「おいどけ、バカ、重い」
「女の子に重いはひどいよクリスちゃん」
 そう言いながら、響はクリスに乗っかかったままの体を起こして、途中からは未来に手伝われて立ち上がった。
「あらためまして、こんばんは、メリークリスマス!」
「それはもう聞いた」
「あと、ごめんね」
「ついでみたいに謝るなよ」
 したたかうちつけた腰が痛い。背も痛い。全部、目の前のこのバカのせいだ。この浮かれ顔の大バカのせいだ。
「なんの用だよこんな夜中に。オッサンたちなら留守だぞ」
「えっ、いや、だからさ」
 ちょっと困惑の色をみせた響の体をちからいっぱいどかして、未来が前に出た。
「メリークリスマス。ひとりでさびしくすごしてるんじゃないかと思って」
 と言って、手土産をクリスの顔の前に差し出した。袋二つがある。
「ああん。……ああ、そうか。メリークリスマス。ありがと。中身はなんだ」
「ケンタのチキン。あと未来の手作りプリン。あ、シフォンのほうね」
 響が未来の背中越しに説明した。響はどこまでも浮かれている。声も、目も、赤らんだほおも、全部だ。
「あとこれが、サンタさんからのプレゼント」
 百貨店の紙袋の中からマフラーを取り出してクリスの首に巻きつけた。
「へえ、サンタクロースは西武にいたのか。スオミだと思ってたよ」
「あ、これは違うよ、持ち運ぶのにつかっただけで。未来の手編みだよ」
「なに――」
 クリスは心の底から驚いた。未来のほうに視線をやると、照れくさそうに笑った。
(この子が、あたしのために……)
 そう思うと気が動転しそうになるが、響のせいでそれどころではなくなった。運がよかったかもしれない。抑えきれた自信がない。
「むむ」
 響は口をとがらせた。
「どうしたバカ、救いようのないバカ、本当のバカ」
 けなしまくるクリスを無視して、響は自分で巻いてやったマフラーを手にとって、むずかしい顔つきをした。
「ねえ未来これ……」
「えっ、なに。どこか失敗してた?」
 未来は不安そうな表情を浮かべている。
「わたしがもらったのよりかわいい……」
「バカ!」
 アホらしくなってクリスはマフラーをつかむ響の手をはたいた。
「本当にバカなんだから」
 未来もクリスに同調してみせた。
「まあ、あがってけよ」
 玄関でいつまでもこんなバカをやっていても時間の無駄だろう。もっと言えばつまらない。響はともかく未来の訪問はクリスにしてみると素直に嬉しいのだ。それを顔に出すことはもちろんしないが。
 おじゃましますと声をそろえて、くつをそろえて、響と未来は邸にあがりこんだ。
 響がこたつにすべりこむ。
「ああ、あったかい」
「さっき入れたばっかのはずだけどなあ、お前がバカばっかりやってて時間食ったせいだな」
 響にはその嫌味は通じなかったようだ。こたつのあたたかさに顔を蕩かしている。ああなんて幸せそうなツラをしてくれることだ。クリスはなんとなく腹が立った。響と未来は客だ。クリス自身はまだこたつに入るわけにはいかない。
「ウーロン茶でいいか」
「ジュースあるよ」
「そうか。じゃあ皿でも持ってくる。ま、ちょっとくらいは雰囲気はな」
 クリスはそう言って台所にむかった。
 実のところひとりきりの夕食をすませてからそれほど時間は経っていないので、クリスの腹は大して空いてはいなかった。だが、気の持ちようとはおそろしいもので、クリスはしだいに空き腹の気分になってきた。響はさておいて未来と一緒にクリスマスを過ごせるのは嬉しい。食事をともにできるのも嬉しいのだ。とすれば、この腹は空腹でなくてはいけないだろう。
 皿とフォークを持って戻って来たクリスに、響が部屋の隅を指さして、
「あれ、どうしたの」
 と言った。
 あれ、というのは、弦十郎が前夜にセッティングしていった小さなモミの木の模型である。すこし不格好だが飾り付けもされている。
「オッサンが置いてった」
「あんな隅っこに?」
「玄関に置いてったの邪魔だったからあたしがここに運んだ」
 クリスはこたつに体をもぐりこませた。
「ふうん」
 響は「いただきます」とてきとうな口振りで言ってチキンをほおばった。友人の寺島詩織などは響の食べる姿にむるいの楽しみを感じているらしいが、なんとなくわからなくもない。なんとも幸せそうに食うやつだとクリスも思った。
「豆電球があるね」
 と未来が言った。
「うん、そうだな」
「点けた?」
「いや、全然。点けるか?」
「クリスがかまわないのなら、ぜひ」
 未来は言った。
「お前がかまわないなら、あたしもかまわない。じゃ、あとでな」
 モミの木の模型をこの小さな突発的なパーティーの主役に据えるのは、未来の手作りプティングを腹におさめてからだ。
 食後、響がモミの木をこたつの近くに寄せた。
 クリスは模型のスイッチを方手に、もう片方の手で天井の灯りを消した。
「クリス――」
「ああ」
 なぜか声をひそめて催促する未来にあわせて、クリスも小さな声で返事をして、スイッチを入れた。
「うわっ」
 このマヌケ声は響のものだ。
「師匠、すごいや。きれい、きれい」
 そう感心して、拍手までしてみせる。こいつの周りに人が集まるのがクリスにはよくわかる。うるさいし、気分の浮き沈みもはげしいし、ある意味めんどうくさいやつだが、退屈しないやつだ。そう思った。
 風鳴センパイもこの顔にやられたんだな、とクリスは納得する。
 なんと楽しそうにモミの木に夢中になっているではないか。こんな小さなちっぽけな不格好な飾り付けの模型にだ。これを見て気分が悪かろうはずない。悪くなるやつはよほど人間が悪いとさえ信じられる気がする。
 クリスはちらりと未来を見た。彼女の反応が気になったからだ。
 未来は、モミの木を見つめて、はあ、とちいさく息を吐いた。感動の息だとクリスは解釈した。
「きれいね。……」
 そう言ってかわいらしい声をもらした。
「そうだな、きれいだ」
 クリスは言った。言って、心の中で、お前のほうがなによりもきれいだ、と愛の言葉をささやいた。
 けして口に出して言えぬ言葉だ。
 でも、それでいい、とクリスは思う。
 それでもいいのだ。たとえ彼女の全てを所有する者が、愛すべきバカただひとりであっても。そのうちの一つもクリスのものにならなくても。
(あたしは、これでいい。だって……)
 だって、モミの木の光に照らされる彼女の横顔が、こんなにもうつくしいのだから。

[このページの先頭に戻る] [シンフォギアSSのTOPに戻る] [サイトのTOPに戻る]