嘘は本当、本当は嘘

 三月三十一日の夜のことだった。
 未来は風呂上がりに一本の電話を受けた。
 相手はクリスで、
「明日、デートに行かないか」
 と誘われた。
 スケジュウルは空いているからそれはべつにかまわなかったのだが、翌日つまり四月一日はいわゆるエイプリルフールと呼ばれる日であることが、未来には少々引っかかった。
 女子は友達同士で遊びにゆく時それを「デート」だと冗談めかして言うことは、ままあるが、この場合の「デート」には、なにやらクリスのべつな思惑があるように未来には思われたのだった。
「ふたりきりで?」
 と未来は確認した。
「うん、ふたりきりがいい。あいつはちょっと勘弁な」
 とクリスは答えた。
「わかった、デートしよっか」
 未来は諒承した。
「ありがとう。八時くらいに迎えに行くから」
「八時? 早いのね」
「ああ、早いよ。早く終わっちまうから、早く始めないといけないからな」
 とクリスは言った。
「わかった。寮の門の前で待ってる」
 電話を切ったあと同居人の響にそのことを説明した。
「私はおよびじゃないと……」
 なんて言って響は肩をがっくりと落としたが、なにか相談事があるみたいだからと未来が言うと、あっさり納得してくれた。

 翌朝、八時を六分ほど過ぎて、クリスがやって来た。
 寒い朝だった。つめたい風がびょうびょうと吹いている。
「ごめん、ちょっと遅くなった」
 とクリスはまず謝った。
「ううん、べつに。それよりデートってどこに行くの?」
「どこでも。てきとうにぶらぶら歩いて、てきとうにメシ食って、てきとうにお喋りがしたい」
「けっこういい加減なデートプランなのね。そういうのも、好きだけど」
「それならよかった」
 クリスはほうと息を吐いた。それから、手を差し伸ばした。
「デートだからな」
「そうね、デートだものね」
 未来はためらいなくその手を取った。
 目的もなくぶらぶらと街中を散策した。
 公園に行って濃い緑に濁った池を眺めたり、開店時間の早い店に入ってなにを買うでもなく物色してまわったりした。
「スカイタワーに行こう」
 とクリスは言いだした。昨年ノイズの急襲を受けて一部崩壊した定番のデートスポットは、すでに復活している。
「水族館の魚を見るんだ。マンボウがいいな、マンボウを見たい」
 とクリスは言った。
 クリスは未来の手を引いて、ぐいぐいと歩き進む。
 今日のクリスはいつもよりすこしお喋りで、せっかちだ。
 なにが彼女をそうさせているのか、未来にもそろそろ呑み込めてきた。
 今、未来とクリスはまさにデートをしている。そして、それは、友達同士の冗談などではなく、若い恋人同士のいじらしくロマン的なデートにほかならなかった。
 未来はようやく理解した。クリスは知っているのだ。未来が幼馴染みの響をひそかに懸想していることに気づいている。クリスが未来をひそかに懸想していることに、未来がすでに気づいているのと同じように――
 だからクリスは今日という日をつかって、ひとつのわがままを押し通そうとしているのだろう。未来がクリスの恋人であるということ、未来とクリスが愛し合っているということ、そのために今デートしているということ。
 全部が嘘だ。嘘でなければできないことなのだ。
「クリス、ごめんなさい」
 スカイタワーのするどい天辺が見えた時、未来はクリスに謝った。
「なんで謝るんだ」
 クリスは振り返らない。
「私は、クリスとは付き合えない。私は響のことが好きだから――」
 未来が言うとクリスは即座に言い返してきた。
「嘘だな、それは。今日はなんたって、エイプリルフールだからな」
 声がふるえているように未来には聞こえた。この子は今泣いているかもしれないと未来は思った。
 水族館では会話はなかった。
 なにを話しても嘘になると思うと話せることがてんでなかった。
 目の前をマンボウが通りすぎていった時、クリスが言った。
「今、何時だっけ」
 未来は携帯電話を取り出して時間を確認した。
「十一時二十五分」
「もう、そんな時間なのか。八時くらいに出発したのに」
 かなしそうな顔が、魚と人間とを隔てる分厚いガラス張りに映った。
「出よう」
 とクリスは言った。
 ふたりはスカイタワーを後にした。
 近くの公園に行って、ベンチに腰かけた。
「今日はごめんな、あたしの勝手に振り回して」
「ううん、こっちこそ、ごめん」
「なんでお前が謝るんだ」
 クリスは鼻を鳴らして笑った。
「今、何時だ」
 クリスはまた訊いた。
「携帯持ってないの?」
「忘れてきた」
 未来は時間を見た。よこからクリスがのぞきこんできた。
「十一時四十三……四分か」
 もう時間がないな、とクリスはやはりかなしげな表情で言った。
「シンデレラの魔女の魔法は、夜の十二時を過ぎたら解けちまうけど、エイプリルフールの嘘は、昼の十二時がタイムリミットなんだ」
 とクリスは言った。
「うん、エイプリルフールの嘘は午前までって言うよね」
 未来が言うと、クリスは未来の手を握り締めて、
「今日ついた嘘は、もう絶対に本当にはならないんだ」
 そう言うと、一条の涙を流した。
 未来はなんと声をかければよいのかわらなかった。
「ごめんな。お前はあいつのことが好きなのに、こんなバカなことに付き合わせて」
 とクリスは謝った。何度も何度も謝った。
「ごめん。明日からはちゃんとするから。もとどおりに友達になるから」
 かすれた声で言いたくないことを搾り出すように言ってから、クリスは未来をぎゅっと抱き締めた。
「それも嘘?」
 抱き返しながら未来は言った。
 クリスは「違う!」と首を振った。
「さっきのばかりは本当のことだ」
 そう言って、体を離して、未来にくちづけた。
 未来は拒まなかった。今日あることは全て嘘だ。嘘になってしまうのだ。だから、このさいかまわないと割り切った。
 くちづけが終わるとクリスはまた未来の体を抱き寄せた。
「愛してる。お前と手を繋ぎたかった、お前を抱き締めたかった、お前とキスしたかった。お前のこと、どうしようもなく愛しているんだ」
クリスは胸から溢れ出す言葉を堰きとめる手段を持たず、嗚咽とともにひたすら溢れさせた。
「私もよ、クリス。どうしようもなく、あなたのことを愛している」
 未来は空虚な言葉を吐き出して、クリスの背中をさすった。未来は自分自身もかなしみの中に落ちているのがわかった。
 ――ごめんなさい。あたしはお前のことが好きなのに、お前はあいつのことが好きなのに、こんなことをさせてしまって、ごめんなさい。嘘をついて、嘘をつかせて、ごめんなさい。……

 嘘の日に本当の気持ちを打ち明けて、その本当を嘘に変えて、明日からは、また。

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