朝から蝉の鳴き声がひっきりなしだった。
響は蝉のうるささに目を覚ました。
ついで頭が覚醒すると、真夏の暑さが体にのしかかってきた。
が、まだ朝だ。これでも涼しいほうだろう。日が中天に近づくごとに暑さはいや増してゆく。まだまだ、茹だるような暑さを感じる時間ではない。
響は天井に向かって粘性を帯びた息を吐いた。その息が熱かった。
起きるのが億劫な体を、むりやり起こした。それ以上に水を飲みたかったし、水を浴びたかった。その気持ちのほうが勝ったのだった。と言っても、水では冷たすぎるからいつもぬるめの湯を使っている。
未来がまだ眠っているのを確認して、音を立てないようにベッドからおりた。
夏期休暇も盆に入り、寮生のほとんどが里帰りしている。その寮生の代わりというわけでもないだろうが、このところは蝉のにぎやかさが耳にうるさかった。
洗面所で顔と首の裏を洗い、歯を磨き、寝癖をすこしととのえた。シャワーは浴びなかった。節電・節水、の声も蝉と同じくひっきりなしの昨今だ。
冷蔵庫から紙パックの野菜ジュースを一本取り出して飲んだ。飲み干して、からになったパックを、バスケットボールのシュートフォームの要領でゴミ箱に投げ入れた。きれいに決まると、すこし、気分がいい。
その気分をひきずって、響は窓のほうに行った。ひんやりとした冷たさを期待していたが、ガラス窓はすでにそれなりの熱をもっていた。響はがっかりした。昨日も一昨日もそうだった。明日も明後日も、天候が激変しないかぎり同じだろう。
窓からは学校が見える。目のはしに白い日の光が入り、かすかな痛みを感じた。手をかざして朝の日射しをさえぎった。
学校の図書館は今日はすいているだろうか。課題をやるならあそこがいい、と未来がいつか言っていたのを響は思い出した。あそこはいつでも人が多い。勉強熱心な生徒に人気のスポットだ。
館内はたしかに涼しくて勉強のしやすい環境がととのっているが、そこまでの道のりを思うと、響はちょっと気が重かった。バスで行くにしても、暑さから完全にまぬかれることはできないだろう。さて、どうしたものか。
とりあえず、まずは未来を起こさなければなるまい。しっかり者に見える未来は、実際にしっかり者ではあるが、けっこう朝に弱い。響が先に起きて、未来を起こすのが、ここに来てからの日課だった。これがなかなか骨の折れる仕事なのだ。休日は特に、あちらの融通が利かなくなる。
よし、と気合を入れてから、響は窓を離れてベッドに戻る。
はしごをのぼりながら、小声で独り言のように言う。
「未来ゥ、起きてるぅ? 起きないとキスしちゃうよぉ。起きててもキスしちゃうよぉ。おはようのキスとかア――」
などと言っていると足を踏み外した。はしごを強く掴んで落下を阻止したが、まのぬけた悲鳴とはでな物音まで防げなかった。ぶらさがった足をまたはしごにかけてのぼっていった。
未来はもう起きていた。上体を起こしてこちらを見ていた。
さっきの悲鳴と物音のせいなのか、その前にすでに起きていたのかまでは、響にはわからない。
「なにやってるの……」
呆れた顔がそこにはあった。
「え、えーっと、いつもみたく、未来を起こしに……」
そう言った響は、なんとなくはずかしくなって、のぼりきったばかりのはしごをそそくさとおりた。
溜息が頭のてっぺんに落ちてきた。
見下ろされているのはわかったが、顔を上げるのはすこし怖い。怒られているわけではないのだから怖がることもないのだろうが、怖いものは怖いのだ。
未来もベッドをおりてきた。
「おはよう、響」
その声を台所を目指す響は背で受けた。
「うん、おはよう、未来!」
響は振り返らないで、はずかしさをごまかすように、大声で言った。
未来の影が横に並ぶ。
頬になにかが触れた。
「へぇ!?」
思わず未来のほうを振り返る。
まだ眠たそうな、でも笑っている未来の顔があった。
「な、に」
「おはようの……キス?」
蝉の鳴き声がうるさい。
茹だるような夏が暑い。
顔が赤い理由なんて、知らない。
了