恋敵は春に来る

 へんなくしゃみだなあと思うのだ。
 本人が全体的にへんな子だから、これだってその一部かもしれない。
 それにしたって何年経っても未来は慣れなかった。弓美あたりが聞けば、
「あんたってばアニメみたいなくしゃみするのね!」
 とでも言うだろう。未来が想像しただけではなく、ほんとうに彼女はそう言った。くしゃみというより、「へっくしょい」という言葉を母音もしっかりと発声している感じである。
 この季節になると響の顔面はぐしゃぐしゃになる。たえず涙を流している目は真っ赤に充血し、鼻も赤く、顔の下半分は唾液と鼻水で濡れている。買い置きのティッシュはすぐになくなって、空箱が山と築かれる。ごみ箱もまたたくまでまんぱいに。
 たのしいこともつらいことも分かち合いたいと思っているが、こればかりはさすがの未来も遠慮したいところだ。
 ひとを批判したり否定したりといったことが苦手な響が、唯一これだけは、はっきりと批判する。政府が無計画に杉を植えまくるのが悪い。そのせいでスギ花粉が全国に大量にばらまかれる。スギ花粉による被害は政府の責任だから、花粉症は公害病と同じである。つまり政府がなんらかの補償をすべきであって、なのにマスクや薬など、被害者が自費を割いて対応しなくてはいけないのは、間違っている。
 たぶん、検索で見つけた花粉症関係のホームページに書かれていたことを、目にしてそのまま口から出したのだろう。(響自身の言葉とは思われないから)
 夜寝る時がたいへんだった。くしゃみがとまらなくて、なかなか寝つけない。くしゃみをする響も、それをずっと聞かされる未来も。
 ふとんのなかで、いつもよりほんのすこし、距離をとる。寝る姿勢は反転する。背をむけあって眠る。くしゃみで唾がとんで未来にかからないように。
(なんだか、喧嘩してる時みたい)
 そんな考えが一瞬頭をよぎったが、じっさいに喧嘩をすれば未来は背をむけるどころか、ベッドの下段に移動するから、例えが違うか、と考えなおした。
 就寝の時がそんな調子だから、日中もなんとなく距離がおかれるようになった。やたら抱きついてくる響は近頃それをしなくなった。鼻水が未来の肩につくかもしれないからと。意味もなくおでこをくっつけることもなくなった。花粉症がおさまれば復活することだが、この期間けっこう長いもので、響とあまりふれあえないさびしさを耐えるのは、未来としても一苦労だった。花粉症に苦しむ響はもっとつらいだろう。もともとスキンシップ過多の子だ、未来に対してはとくに。
 テレビを見ながら、我が子のようにティッシュ箱を胸にかかえ、泣きはらす姿がさまになってきた。
 動物系のドキュメンタリーに響は弱い。アザラシやペンギンのこどもが、南極の過酷な環境のなかを生きぬくようすを撮影したテレビ番組だった。涙も鼻水もよりいっそうひどいことになっている。
 からっぽになったティッシュ箱のなかに指をつっこんで、ひっかきまわしている。なくなっていることに気づいていないらしい。響はテレビから目をはなさない。鼻水がすこしついてしまっている手が、ティッシュ箱のなかで右往左往していたので、見かねた未来はそっとあたらしいティッシュ箱に交換してあげた。響の手がティッシュペーパーをつかみ、鼻をかんだ。それから、ずるずると鼻をすすり、目をこする。
 嗚咽とくしゃみを交互にくりかえしている響を見て、未来は溜息を吐いた。響の顔面がかなり悲惨なことになっていた。
 もう風呂はすませてしまっている。ふたりとも寝間着を着てテレビを見ていた。未来は響に、顔の惨状を伝えて、顔を洗ってくるように言った。
 響の姿が洗面所に消えると、未来はまた溜息を吐く。
 テーブルに置かれたティッシュ箱を手にとった。
 シーズンが終わるまで、まだしばらくは、この直方体の紙製の箱が、響にとってもっともかけがえのない存在である。そう思った瞬間、ティッシュ箱が若干へこんだ。
 もどってきた響は、へこんだティッシュ箱に気づくと、うろたえ、かなしみ、おそろしいほど繊細な手つきでそのへこみを直した。時々くしゃみをして、その勢いでまた箱をへこまして、そのありさまに響はへこんで。
 そろそろ聞き飽きた、おかしな調子の響のくしゃみは、まだまだつづくことだろう。
(早くおさまらないかな、花粉……)
 未来は、ほおづえをついて、体をかたむけながら、さっきよりもちょっくらいはさっぱりした響の横顔を、ティッシュ箱にそそがれるまっすぐでやさしいまなざしを、愛情の薄れはじめた冷ややかな視線で見つめた。

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