ぽかぽかココア

 まだ寒さが残る春先のことだった。
 日曜日だというのにたいせつな幼馴染みをほったらかしてわざわざこっちに来るのだから、物好きなことだ。と思っていたら、どうやら事情がちがったらしく、
「響は弦十郎さんと出かけちゃったから、わたし留守番。ひまなの、つきあってよ」
 とご機嫌もななめにして未来は言った。
「留守あずかったのに、あけてきていいのか」
「お城じゃないんだから」
 からかわれたと思ったのだろうか、未来は口をとがらせた。
「まあ、そうだな」
 首筋をかいて、
「入れよ」
 とりあえず部屋に招き入れる。
 ここはクリスの家のはずなのに、未来が足を踏み入れると、途端にそのあたりがあいまいになる。
 未来は入るなりキッチンのほうにいって、
「なに飲む?」
 と訊いてきた。
「なんでもいいよ。ていうか、なんかあるかな。買い置きあるかどうかわからないから、てきとうにやってくれ」
 そう言ってクリスは、リビングのソファに腰かけて、未来がなにかしらを淹れてくれるのを待つ。
 最初は未来のそうした行動に首をかしげ、いたたまれなくもなり、とめようとしたこともあった。が、諦めた。みょうに頑固な未来はそうするのだと一度決めて行動を起こせば、もうけっしてくつがえらない、とクリスもいいかげんで学習したのである。
「ココアと牛乳あったから、ホットココアにした。まだ寒いし」
 ふたつのマグカップがソファのまえのテーブルに置かれた。
 未来はクリスのよこに腰をおろすと、
「封切ってなかったけど」
 消費期限がなかなか危険な領域に入っていたらしい。単純な疑問にそれとない注意をまぜて未来はそのことを報告した。いつ、なんのために買ったのか、クリスにしてももう思い出せない。ココアを好きだった記憶もない。
「安かったからじゃないかな」
 とだけ言って、マグカップを口にちかづけた。むわりとした熱さと甘さが鼻をくすぐる。
 息をふきかけて冷ましてみるが、すぐには冷めてくれるはずもない。ひとくち飲んで、舌に痛みがはしった。
「あっつ」
「ちゃんと冷まさないから」
 そう言いつつ未来は平然とココアを口にする。
「熱くないのか」
「わたしはわりと平気みたい、こういうの」
 猫舌じゃなくてもあつあつのホットココアなどすぐに口をつけて平気でいられる人間もめずらしいだろうに、未来はそのめずらしい人間のひとりであるらしかった。
 ココアがほどよいぬるさになって、クリスもようやく、ごくりと音をたてるていどの量を飲みこんだ。
「ん、うまい」
「ちょっと牛乳多かったかな」
「そうか? ちょうどいいけど」
 クリスは言った。牛乳もココアもよいあんばいでまざっている。コーヒーや紅茶のときも思うのだが、未来は飲み物を淹れるのが上手なようである。とにかく味がよいのである。自分で淹れたのとはくらべものにならないほど、未来の淹れた飲み物はコーヒーだろうが紅茶だろうが日本茶だろうが旨い。翼が言うには香りからして全然ちがうそうだが、そこまでのちがいはクリスにはわからない。
「わたしのは失敗したみたい」
 未来は苦笑した。
「ちょっと飲ませて」
 と言って、未来は、クリスの胸もとに自分の分のマグカップをおしつけた。
「いいけど」
 クリスはおとなしくカップをわたした。
 未来曰く牛乳が多めのココアを飲む。
「うん、ちょっと牛乳の味がつよいかな。でも、うまい」
「そうかな。こっちのほうが上手に淹れられたわ」
 未来はくやしそうにいって、それからまた、笑った。ココアはどちらものこり少ない。
 クリスは牛乳過多のおいしいココアを飲みほした。そうすることで、未来によりおいしいほうのココアをより多く飲んでもらおうと思ったのである。
「クリスってやさしいよね」
 なんでもないことのようにあっさりと未来は言った。ずっと胸に居座りつづけるような声ではないが、そのおかげで気恥ずかしさみたいなものも感じずにすむ。
「ん……」
 最後の一滴まで飲みほして、それから、部屋と体の暖かさに心をひたしながら、ふたりはくすくすと笑いあった。なにがおかしいわけでもなく、ただなんとなく心がぽかぽかとぬくまって、それがたのしいようなうれしいような、そんな気分で笑ったのである。
 未来はマグカップをテーブルに置くと、ゆらりと体をかたむけ、クリスの肩に頭をのせた。
 この身にみちるあたたかさをべつなことばで表現すれば、それは、幸福、にほかならなかったろう。

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