断固たる想い

「――まあなんて言ったらいいんデスかねー、やっぱ人間みんな生きたい生き方っていうのがあって、いろんな生き方があって、でもいろんなシガラミとか弊害とかあって望んだ生き方なんてそうできなくって、そういう制限の中で自分なりにいちばん納得できる生き方ができればなあってささやかながらも求めながら、でもなかなかそういうわけにもいかないし、世の中そんなにうまくいかないもんデスから、望まない生き方を強制されたり強制されなくても結局自分でその生き方を選んじゃったり、それが自分のためでなくても他人のためになるなら、まあいっかなって人の好いこと思えるヤツもいればいないヤツもいたりで、まあホント、いろいろあるわけだから、まあなんデスか――」
 切歌は一気にそう喋り詰めると一度言葉を切って、
「気にすんなデス」
 ぽんとクリスの肩を叩いた。
「てめえそれ慰めてるつもりなのか」
「そりゃロンモチ」
 くぐもったクリスの声に切歌はあっけらかんとして答えた。
 円筒型のガラス張の大きなカプセルの前で、クリスは膝を抱えて顔を埋め、切歌は足をなげだしてそれぞれに座っていた。
 ぶきみな緑色のリンカー液はすでに抜かれていて、中はからっぽである。
 先刻までそこに未来が入っていた、そのことをクリスが知った時には、もう全部の準備が終わっていた。企みを教えればとめられるから、と未来はなにも教えてくれなかった。実際そのとおりのことを彼女はした。あらかじめ知ればクリスはかならず未来をとめていただろう。首の爆弾のことなど忘却しきって、未来を抱えて「フィーネ」を脱出しようとしただろう。
「なっさけねーデスなー。とっとと泣きやめるデスよ仕事はこれからなんデスよ?」
「泣いてねえしデスデスうっせえ」
「ひとのチャームポイントをそうやって無遠慮に叩くのは無礼千万」
 切歌はクリスの頭を小突いた。
 それから声にも目にも真剣みを増して、
「彼女が自分の意志で決めた生き方デス。それをそんな、きっと肯定してほしかっただろう相手がデスね、ケチケチウジウジ文句つけんなデス」
「文句なんかつけてねえよ」
「でも納得してない。全然サッパリちぃっとも。あーなんで相談してくれなかったんだーあたしはそんなに信用できないのかー……とかなんとか思ってるんでしょ? あ、これやっぱ文句だ」
 そう言われるとクリスはなにも言い返せなかった。いっそう深く膝にうずくまった。
 鼻をすする音がした。
「やっぱ泣いてるじゃん」
 と切歌に言われたが、やはり言い返せなかった。
「んんーっ」
 切歌はのびをした。「肩凝ったァ」と言って腕をぐるぐる回した、その腕がクリスの頭に何度も当たった。わざとなのはわかりきっているが、クリスはじっとうずくまったまま黙っていた。
「うう、手ぇイタい……」
 切歌は手を撫でさすった。
「海出てフロンティア浮上させるの二回目だから、もう目をつけられてるかもしれないデス」
「そうだな」
「米軍が横入りしてきそうだけど、あの、あれ、トッキブツ? ツーウィング? なんとかなりつばなりも出てくるかも」
「特異災害対策機動部二課・元ツヴァイウィング・風鳴翼」
「そうそうそれそれ。あいつ強いデスよね」
「めちゃくちゃ強いぞ」
「……がんばんないとね」
 最後のだけは切歌はぼそりとちいさな声で言った。このやりとりのあいだクリスは一度も顔を上げなかった。すでに完全な鼻声だった。
「ああもう!」
 切歌は頭をわしゃわしゃを掻いた。
「テンション低い!」
 ガンガンと床を叩く。
「今すぐにでも戦闘態勢にはいんなきゃいけないかもなんデスよ? コンディショングリーンでいかないと! お前レッドすぎ赤すぎ!」
 ふっと息を吐いて、
「それに引き替え緑はいいもんデス。植物の色デス。命の色デス。目にも心にも優しい自然の色ォー」
 自分のパーソナルカラーを褒めちぎった。
「あたしは赤のほうが好きだ。命の色だから」
 クリスは言い返した。
「さいでっか……」
 命の色はひとつではないということである。
「なー、雪音イチイバルー」
「クリス」
「くーちゃん」
「安藤かお前は」
「だれそれ」
「変なあだ名つけるのが好きな知り合い。友達の友達」
「へえホントにくーちゃんなんだ」
「ユッキーってつけられた」
「苗字! ノーマーク!」
 切歌はおおげさに驚いてみせた。
 クリスはようやく顔をあげた。
「うわひっでえ顔」
「うるせえ」
 ぼかすか殴られた仕返しに、軽く頭を小突き返してやった。やはりおおげさに切歌は痛がってみせた。
 ヒナ、とクリスは心の中で言ってみた。
 未来と響が所属する友人グループのリーダー格である安藤が、未来につけたあだ名がそれだった。ふしぎにあたたかい感覚のある、かわいらしくて似合いのあだ名だと、クリスはわりあいに気に入っていた。ヒナ自体はそこまで珍しい名ではないだろうが、それをコヒナタという苗字から抽出するあたりに安藤の独特のセンスがあった。
 当たり前だが、クリスは一度も未来のことをヒナなどと呼んだことはない。小日向とも未来とも呼んだことはなかった。……一回寝言で言ったのを聞かれてしまったが。
 名前を呼んでと言われた時に呼んでやればよかった。彼女の望むどおりにしてやればよかった。どうして自分は、こうも後悔するばかりの選択をしつづけるのだろうか。
「……がんばんないと」
 切歌がさきほど言った言葉をクリスも言った。
 守ってと言われた。味方でいてと言われた。お願いと言われた。だから、それを全力で、がんばってかなえてやらないと、とクリスは思った。もうそれ以外に自分が未来にしてやれることなどないような気がした。できることの少なさを嘆いていても、それこそ仕方がない。少なくてもあるのなら、
 ――断固そうしなければならない。
 クリスは膝を抱いている手に拳を握りしめた。
 目に宿った光を切歌はみのがさなかった。
「コンディションオール……オールレッド!」
「それ駄目なんじゃないのか」
「いやいやテンションマックスってことデスよ。熱く燃えたぎる炎の色デス」
 切歌はすっくと立って手を差し伸ばした。
 その手をつかんで、クリスはよろよろと立ち上がった。
 こいつは誰かに似ているな、と心の深いところにある感性が言った。それを表層に持ってくるより先に、警報が鳴った。
「来た――」
 ふたりは操舵室を目指して勢い駆けだした。
 海洋に姿を現したのは、はたして米軍艦隊だった。
 かなり離れた後方には二課の仮説本部の艦が航走していた。

「風鳴翼が来る」
 舵を取るマリアが重い声でそれだけを言った。それだけ言えば十分といった具合だった。米艦隊も二課の他の戦力も物の数に入れていないようだった。そしてそれは、おそらく正しいだろうとクリスには思われた。
「あの子はどこにいるんだ」
「いつものところに」
 と答えたのは調だった。いつものところとは、茶飲み場(ブリーフィングルーム)のことである。
「ってか、狭ッ」
 緊張感のない声は切歌のものだ。狭い操舵室に多人数が詰め込まれている。ただし、体と体のあいだにはそれなりに余裕はある。切歌の言い分は、やはりおおげさなものだ。
「あの子は出ないよな」
「出しませんよ。彼女はフロンティア浮上の鍵ですから、ただの人間相手に消耗するものではありません」
 とウェルが言った。
「なら、いい」
 クリスは納得した。人殺しはさせたくなかった。それをやらねば未来の企望を遂げられないというのであれば、自分がやればいいと思った。
「私が出ます」
「えっ――」
「ただの人間相手に消耗するものではないと言ったでしょう? それは――」
 ウェルはクリスの胸もとを指さして笑った。
 ――ソロモンの杖。
 クリスは思い出して唇を噛んだ。
 なるほどシンフォギア装者の出る幕などないだろう。生身の人間を蹴散らすだけならソロモンの杖からノイズを召喚すればそれで事足りることだ。懸念はそれを守るために出撃して来るに違いない風鳴翼ただひとりであり、したがってマリアの他を無視したような言い方は過不足のないものだった。
 唇を噛んだのはクリスだけではく、マリアもだった。それから切歌と調は表情を暗くしてうつむいた。それらの態度は彼女たちの弱さと人の好さと、もっといえば極めて常識的な感覚で、およそ世界を、また米国を相手取って戦う武装組織が所有してよい感覚ではなかったが、困ったことに「フィーネ」の戦闘員は三人が三人ともその常識の所有者だった。
 ノイズで人を殺すことに抵抗がある。だからウェルの取ろうとしている戦法には不満がある。しかし、自分の手を汚す度胸もまた、彼女らはまだ持っていなかったのだった。
 操舵室からウェルの姿が消えた。
 クリスの耳に彼の笑い声が聞こえたような気がした。
「後方艦船の接近がかなり速いわ」
 マリアは言った。それはつまり、風鳴翼の到着がもうまもなくであることを意味していた。米兵はそれで助かるはずだという、マリアの筋違いとも言える慰めなのかもしれないとクリスは思った。
「歌が聞こえたら出撃デス」
 切歌が言った。
 クリスはまた頭痛がしてきた。
 ――守れよ! そうしたいのならば断固そうしなくてはならない!
 スカイタワーで未来の身を託された時に言われた、その声が、言葉が、クリスの頭の中で途切れることなしに繰り返され、クリスの脳を強く烈しく揺さぶった。
「断固……」
 クリスは知らず声に出して言った。
「ダンコ?」
 切歌がいぶかしげにクリスのほうを見る。
「なんでもない」
「顔色悪いよ」
 調が心配そうに言った。
「頭が痛いんだ。まだ怪我が治ってないんだ」
 クリスはそう言って頭をおさえた。実際この頭痛は怪我のせいかもしれなかった。
「あのアイドルさんはあたしと調でチャチャっとやっつけて来るから、お前は茶でも飲んで休んでろデス」
「無理だろ、ふたりぽっちじゃ勝てないぞ。あの人には」
「さんにんぽっちなら勝てるわけでもないし? コンディションパープルのアシデマトイとかいらないデスし?」
 ずばりと言われてしまった。体調が万全で、三人がかりであっても、翼を相手に勝ち戦に持っていこうなど、はなはだに困難なことだった。
「加勢できそうなら、する」
「おうおう、任せろデスよ。調、出撃準備するデス」
「うん。……」
 切歌は調の手を引いて操舵室から出た。調はクリスになにか言いたそうな顔をしていたが、結局なにも言わずに出ていった。
 マリア、ナスターシャ、それにクリスが操舵室に残った。
「それ、自動操縦に切り替えるのはできないのか」
「ごめんなさい」
 クリスの質問にマリアはまた謝った。
 謝ってばかりだな、この偽のフィーネは、とクリスは思った。
 マリアは切歌と調をかわいがっているから、自分が出撃して翼と戦えるならとうに出ていたろう。そうしないのは、マリアが操縦桿を離せないからだろう。
 ただし、それが自動操縦に切り替えられないから、という理由なのかどうか、本当のところはクリスには不明だった。
 エアキャリアの設備をつかってマリアがしなければならぬ仕事が操縦以外にもあるかもしれないと思った。そういうマリアをかばうような想像をはたらかせるクリスは、マリアに対してほどほどの好意をもっていた。
 クリスはブリーフィングルームに向かった。
 頭痛のために休むためではなく、未来に会いにいくためである。

 未来はそこにいた。
 ブリーフィングルームは明かりをつけられておらず、黒い墨をぶちまけたように暗かった。クリスはあえて明かりをつけようとは思わなかった。
 暗闇の中に鎮座する未来のとなりに座った。
「調子はどう?」
 なにひとつも変わってないような、あいかわらずやさしくてやわらかい声で未来は言った。ただ温度が低いように思われた。あるいは高いようにも思われた。いつものあたたかさを、クリスはその声から感じることができなかった。
「頭痛がする」
「怪我のせい?」
「たぶん」
 クリスはあいまいに答えた。
「約束おぼえてるか?」
 クリスは未来に訊いた。
「うん」
 未来は答えた。
「ちゃんと守るからな」
「頼りにしてる」
「肩だって貸すし」
「クリスの肩を今? 頭が痛いんでしょう。こっちが膝を貸すわ」
「いらないよ」
 と言ったあと、クリスは自分の声の冷たさと突き放すような烈しさのある言葉に愕然とした。
「いや、うん。やっぱり貸してほしい」
 クリスは言い直した。
「へんなの」
 未来はほのかに笑った。
 その笑顔もやはりかつてとは違うものに見えた。この小日向未来を見て、はたして響は「陽だまり」と評しただろうか。クリスはそんなことを思って体を傾けた。ただし膝ではなく、肩にである。
「こっちがいい」
 甘えた声に未来はまた笑った。
「こどもみたい」
 そう言った。
「守るからな」
 クリスはまた言った。
「断固そうするから」
「ありがとう」
 この言葉の温度も未来のそれに聞こえなかった。
 頭痛がおさまらない。
 翼の言葉が脳をゆさぶってとまらない。
 ――痛みだけが、人の心を繋いで絆と結ぶ、世界の真実。
 今度はフィーネの言葉が蘇ってきた。フィーネと過ごした二年のあいだ、クリスはその言葉を信じていた。その言葉に縛られていたとも言える。フィーネのもとを離れてから、クリスはそれとは違う心の繋がり方と絆のかたちを知った。そのうちのひとつが、かつてのフィーネの言葉と同じ強さで、今クリスを縛りつけている。クリスはそう感じた。
 断固、断固、と翼の声がやまない。
 声がやがて歌に変化した時、クリスは発狂したくなるほどの烈しい頭痛に襲われた。
 クリスは立ち上がって喉と空気の裂けんばかりに叫んだ。
 未来はそれを見てもなにもしなかった。
 彼女を知る誰しもが愛したあたたかな陽だまりは、もうそこにはなかった。

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