響と未来と十二の月・二

 時間はおそろしいほどゆったりと流れている。すくなくとも響の感覚としてはそうだった。
 授業はどの科目もつつがなく、休憩時間もだれに気兼ねすることもなく、未来と一緒にたのしくすごせた。そのたのしさにすなおに身をひたしたいところだが、頭の裏のほうで頻繁に鳴るえたいのしれない警鐘が響の思考のいくらかを占拠していた。警鐘がなにを告げているのか、響はすぐにはわからなかった。
 ――ああそうか、と気づいたのは、四月下旬のことだった。ゴールデンウィークの直前である。
 思いかえしてみれば、自身の対人関係にはふたつの点しかなく、そのあいだに一本の線がとおっているだけで、そこからすこしも面に広がっていない。用事があるとき、学級会などで響に声をかけるクラスメイトはいるが、ふだんに話しかけてくる友人はあいかわらず未来しかいない。この「あいかわらず」はここ一年ていどの響の日常にあった「あたりまえ」にすぎず、かつてはそうではなかった。交遊関係の広がりのなさも、一度極端に狭まったものが修復されないまま今に至っている、といったほうが正しいだろう。
 みな、あえては意識していないだけで、忘れたわけではない、ということが、ことあるごとに腹の底にのしかかってくる。ほかでもない、響がそうなのである。が、響のなかに恨みとか怒りといった種のの感情が沸いてこないことが、この場合もっとも厄介であるかもしれなかった。外の世界にたいしてかかえている感情は曖昧模糊として響自身にもつかみきれていない。ただ、とがったものはないように思われた。はっきりと怒りや恨みをかかえているほうが精神の在り方としてはわかりやすい。では、立花響の在り方としてはどうなのだろうか。
 机に鞄かけて席につく。ほおづえしながら、なかば眠るように目をつむって、考える。しばらくして、チャイムが鳴ると、響はほおづえを解き、
 ――自分の在り方なんて。
 ゆるゆると首をふった。
 となりに目をやれば未来がいる。ほっと息を吐いた響は、べつなことを考えはじめた。すなわち、まもなくゴールデンウィークにはいるが、このとき未来が響の家に泊まりにくるのである。それをどう楽しもうか、響はそのほうへ思考をしずめていった。

 未来と一緒に眠るときだけ、響は夢をみる。
「やっぱりまだ夢はみないの?」
「うん。ぜんぜん。なんでかな。眠り、深いわけじゃないと思うんだけど」
 英語のテキストに目とペンをすべらせながら、響は言った。初日は課題をかたづける。遊ぶのは翌日から。どちらが言いだすでもなくそうきまっていて、昼過ぎに荷物をかかえてやって来た未来と一緒に、響はずっと課題のテキストとにらめっこしていた。
 響は夢をみない。が、今夜はひさしぶりにみることになる。未来と寝床をともにするからである。夢をみるメカニズムは響はよく知らないが、あべこべのような気がした。未来がいると安心してぐっすり眠れる。眠りが深いのはこのほうで、ふだんは浅い眠りと覚醒をくりかえしている感じである。ところが響はふだん夢をみない。
「いい夢をみたい」
 響はつぶやいた。すると未来が、響のとなりに這うように近づいてきて、ぴたりと体をはりつけると、
「よい夢を」
 とささやいた。
「んん?」
 響はテキストにおとしていた目をあげた。
 鼻先がくっつきそうなくらい未来の顔が近い。
「それ言うの早くない?」
「お昼寝しないの?」
 問いに答えではなく問いが返ってきた。
 ――未来、眠いのかな。
 と思ったが、未来のやわらかくほそめられた目は、すこしも眠そうではない。
 それをさておけば、響は昼寝をするほうである。帰宅から夕食までの数時間をたいていは寝て過ごす。
「そうだね。じゃ、ひと休みしよっか」
 と響は言って、未来とともにカーペットの上に体をよこたわらせた。
 だから響はこのとき夢をみた。深い意識の底で夢をみたのだった。

 蛍光灯のような白い光が明滅している。それはじっさい蛍光灯であったかもしれないし、それとはちがう電灯であったかもしれない。とにかく白い光が真っ白な空間のなかで、ぱちぱちと音をたてて点滅している。
 その光のむこうがわに未来がいる、と思った。根拠もなくそう思った瞬間、明滅する光は消え、白い空間が彩られてゆく。真っ青な空、緑色の金網、土のグラウンド、そこに引かれたトラックの白いライン――未来が走っている。うしろでまとめたみじかいポニーテールがゆるくたなびいていた。
 響は固い地べたに座ると、折り曲げた膝の上に顔を寝かせ、そうしてちょっとかたむいた視界のなかにいる未来の姿を追った。
 未来が走っているのを見るのはむかしから好きだった。陸上についてくわしくはないが、ただ単純に、響自身の感性として、きれいだな、と思ったのである。未来が走る姿はきれいだと感じる。だからずっと見ていたいと思った。
 短距離走者なので試合となればあっというまに走りおわってしまうが、練習であればずっと走っている。朝と夕、部活の時間がおわるまで、ずっとずっと走っているのだ。それを響はずっとずっと見ている。
 突然、白い靄が視界いっぱいにひろがった。響は未来の姿を見失った。
 息苦しさを感じる。靄は煙かもしれないと思った。煙にむかって走りだして、未来をさがし、やたらめったらに手をさしだして、つかもうとした。未来の手をでも、運動着の裾でもいい、なんでもいいからつかもうとした。
 が、なにもつかむことなく、響の夢はそこでおわった。
 目が覚めたのである。

「あんまりいい夢じゃなかった?」
 目が覚めて最初に耳にはいった声だった。
「ちょっと苦しそうだった」
 眉間のあたりをひとさし指でおされた。苦悶の表情でもうかべていたのだろうか。
「ううん、いい夢だった。きれいな夢、みたよ」
 そうは言ったものの、響は夢の内容を語らなかったし、未来もしいて聞きだそうとはしなかった。
 未来は陸上を辞めてしまった。記録に伸び悩んだから、と本人は言ったが、なかばうそだと響には思われた。部活動につかう時間を響と一緒にいる時間にまわそうとしたのがおもな理由であることは簡単に察せられた。ただ、記録が伸び悩んだ、というのも事実だと思う。未来が陸上を好きなのはひとりの世界に没入できるからである。それができなくなったせいで、記録が頭打ちになったのだろう。その原因は響とその周辺の環境にあったし、めぐりめぐって、あの日の未来の電話口での一言にまでもとめられるものである。
 こればっかりはどうしようもなかった。響がいくら気にしていないと言ったところで、未来が響でない以上、未来は気にしつづけるだろう。響にどうこう言えることではないのだ。こればっかりは。
 起きてからはまた課題にとりくんだ。未来とおなじ高校に行こうと思えば未来の倍は勉強しなければならないだろう。もっとも未来が言うには受験勉強にいっしょけんめいになる必要はなく、
「ちゃんと授業聞いて、ノートとって、復習して、テストで平均点くらいとれたら、いけるから」
 らしい。それで受かるのはリディアンのレベルがそうなのか、未来のレベルがそうなのか、響にはちょっとはかりかねた。が、なんにしろまじめに勉強するにこしたことはない。
 初日は一日じゅう勉強した。翌日からはスケジュールが替わり、まず朝食後に一時間、それから休憩がてら散歩にでかけた。帰って来てすこし疲労をとってから勉強再開。みじかい休憩をこまめにはさみながら昼食までつづける。
 休憩をまめ≠ノとるのが集中力を持続させるこつなのだと未来は言った。ただし、だらだら休んでも意味がない、とも言った。
 陸上経験から出たことばだろうかと響は想像した。響の思考を読んだわけでもないだろうが、
「フィジカルトレーニングってね、ほんとうに効率よくやったら五分くらいで息があがるの。それをくりかえすでしょ? だからあいまの休憩にしっかりと休むつもりで休まないと全然つづかないから」
 と未来は言った。それは勉学にもあてはまることらしい。たしかに一度だらけるとそこからまた集中して勉強するのはそうとうたいへんなことだと響はなっとくした。これも実体験である。ちゃんとしなければいけないのは勉強も休憩もおなじだろう。
 昼食後しばらくして、買い物にでかけた。
 明確な目的はない。どうしても買わなければいけないものもなかったが、しいていえば文房具の補充になるだろうか。そう思いついたのはショッピングモールに着いてからのことで、最初はきままなウィンドウショッピングのつもりで家を出たのである。じっさいノートとシャーペンの芯を買ったあとは、ショッピングモールのテナントをあちこち見て回るだけでなにも買わなかった。
 ただ、たのしかった。たのしいと思った、と自覚した。その自覚が、今日のショッピングをここちよいものにした。たあいのないたのしさがなんなのか、体が思い出そうとしている最中だと思った。その捉え方であっている、と信じた。

 平日が一日はさまったので、その日だけ未来は学校から直接自分の家に帰ったが、それ以外の休みはずっと響の家に泊まりこんだ。そういう過ごし方を家族に許容されている。そういう状態がよいことなのか、どうか。かならずしもよしいわけではないとふたりともわかっている。が、ゆるされるかぎりのことはやってゆきたいとも思っていた。
 ゴールデンウィークの前半に動物園に行き、後半には遊園地と博物館に行った。ずいぶんと詰め込んだ日程になったが、丸一年おあずけになっていたことで、夏休みまでとうてい待てないという気持ちに急かされての強行スケジュールだった。ほかにも行きたいところはたくさんあったが、残りは夏休みに消化することにした。
 最後の博物館は未来の父が手配してくれたチケットで行った。古代ローマの遺跡発掘物の展覧会で、姉妹都市の交流何周年だとかで、友好のしるしとして、いくつかの出土品が日本の博物館に貸し出され、今回の展示に至ったらしい。
 響も未来も古代史にさして関心があるわけではない。
 深い土の底から出現した古代の人々の生活の痕跡にある、かれらの呼吸や匂いといったものになにかしらの興味をもつようになるのはここから一年ばかり先のことで、数千年も昔の人々とおなじものを現代人の自分も見ている、という目もまだもっておらず、とりあえずこの時点のふたりは、物の形の「綺麗」とか「格好いい」とか、それから「古いものはとにかくすごい」という認識からくるかすかな感動を抱くにとどまった。
 それでも目と耳で存分にたのしんだのである。
「夏休み中にはべつの博物館で木乃伊展があるが、どうかな」
 と未来の父は言ってくれたが、
 ――木乃伊はちょっと怖いかな。
 と思い、ふたりで鄭重にことわった。
 それはそれとして、夏はどこに行こうか、木乃伊展の話を聞いたせいでもあるが、気の早いことに夏の計画を相談することになった。ゴールデンウィークの最終日である。
 最初にあがったのは、やはり海で、つぎに市民プールだった。どちらも混雑しているだろう。それからそんな趣味はもったことがないが、釣り、という案もでた。釣りでなくても川遊びをしようということである。潮干狩りでもかまわない。あるいは水族館か。
 涼しさを満喫できるところがいい、という点でふたりの意見は一致していた。
 その上で、さてどこに行くとなると、腕を組んで考えこんでしまう。
 ひとつに水着の問題があった。響の胸もとには大きな傷痕があって、かなり目立つので、それをかくせる水着があるかどうか、である。遊泳にこだわらなければTシャツに薄地のパーカーでも着れば、水辺で遊ぶくらいはできる。あとはハーフパンツとサンダル、それにつばのおおきな麦わら帽子でもあればなおいい。
「まだ先の話だね。水着のはやりとかもわかんないし、どういうのが店にならぶのかもまだ全然」
 と未来はなかばなぐさめるように言った。響としては海でもプールでもいいから、とにかくめいっぱい泳ぎたいのだろう。ただし、胸の傷は見られたくない。その感情はもっとも単純なものとしては羞恥であったし、あるいはうしろめたさでもあったし、傷を見た者の目を、その者がたとえ傷の由来を知らないとしても、見たくない気持ちが、やはりなによりつよかった。それははっきりとした恐怖心である。
「海、行きたいな。川もいい。キャンプとかしたい。川魚とか食べてみたい。テレビでやってるみたいに塩とレモン……ゆず? かぼす? それでさ。わたし、食べたことないんだ」
 と響はぐらぐらと首をゆらしながら言った。声がかすれているのは、たぶん泣きそうになっているからだと未来にはわかった。
 キャンプは中学生ふたりだけでできるものではない。大人の同伴者がいる。
「お父さんたちに相談してみる」
 と未来は言って、おもむろに響の肩を抱きよせた。

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